穆宗 (遼)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:基礎情報 中国君主

穆宗(ぼくそう)は、の第4代皇帝述律。太宗耶律堯骨の長男。史書によれば、性格は非常に残忍で拷問を好んだとある。

生涯

天禄5年(951年)、第3代皇帝であった従兄の世宗が暗殺されると、世宗一族を滅ぼし自ら即位した。しかし即位後は奢侈に走って政治を顧みず、重臣も権力争いからそれぞれの派閥に分裂、遼は次第に衰退の兆しを見せ始めた。このため応暦15年(964年)に満州北部で遼に対する大規模な反乱が起こったが、応暦16年(966年)には反乱を鎮圧している。

応暦19年(969年)、王朝内の混乱から側近により暗殺された。享年39。

脚注

テンプレート:Reflist

テンプレート:遼の皇帝

テンプレート:Chinese-history-stub