稲森宗太郎

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稲森 宗太郎(いなもり そうたろう、1901年7月12日 - 1930年4月15日)は、三重県名張市出身の歌人

人物・来歴

  • 明治34年、三重県名張市本町の煙草元売捌商稲森惣兵衛の長男に生れる。
  • 県立第一中学校(現 三重県立津高等学校)卒業。
  • 大正10年、20歳の時、第一早稲田高等学院政治経済学科入学。昭和3年3月早稲田大学国文学科卒業。在学中は、窪田空穂教授に師事。
  • 窪田空穂の周囲にあった尾崎一雄山崎剛平ら八人で八ツ手という短歌会を結び、同人誌『茜ぞめ』を出す。
  • 廃刊後は『地上』に加わり、これが死にいたるまで宗太郎の作品発表の場になった。
  • 大学卒業の秋、肺尖(はいせん)カタルの診断をうけ、じつは結核であった。
  • 昭和5年の春ごろ病状とみに進み、咽喉がつぶれてしまった。
  • 昭和5年4月15日、高田馬場の家で父、窪田空穂、妻美津子にみとられて29歳の短い生涯を閉じた。
  • 法名=国学院硯誉宗泉居士。