福田村事件

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福田村事件(ふくだむらじけん)は、関東大震災後の混乱の中で、香川県被差別部落出身者が千葉県で地元の自警団に虐殺された事件。

犠牲者の追悼慰霊碑が野田市三ツ堀の円福寺境内にある(2003年建立)。

発生日時・場所

関東大震災発生から5日後の1923年9月6日千葉県東葛飾郡福田村(現在の野田市)三ツ堀の利根川沿い。

被害者

香川県三豊郡の薬売り行商人15名。うち犠牲者は妊婦や子供を含む9名(妊婦の胎児を含め、10名とする説もある)。

加害者

福田村および隣接する田中村(現柏市)の自警団。8人が殺人罪に問われて懲役3~10年の刑を受けたが、彼らの大半は、昭和天皇即位による恩赦で釈放された。事件の中心人物は出所後村長となり、市町村合併後は野田市議となった。

背景と事件後

事件の真相は今なお明らかではないが、「行商人一行の話す方言讃岐弁)が千葉県の人には聞き慣れずほとんど理解できなかった」「千葉県の人との意思疎通の際に話す標準語も発音に訛りがあり流暢でなかった」などを理由に朝鮮人と見なされ、虐殺が起こったと言われている。

部落解放同盟などは事件後、加害者たちが極めて軽い処分を受け、その後永年真相解明がなされなかったのには部落差別が反映されているとみている。これは、住民を殺された側である香川県や、被害者の地元自治体が、事件をなかったことのように扱って来たことへの不信があった。

関連項目

外部リンク

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