福澤克雄

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テンプレート:存命人物の出典明記 福澤 克雄(ふくざわ かつお、旧姓:山越、1964年1月17日 - )は、TBSテレビ・制作1部所属のテレビドラマディレクター演出家映画監督。元・ラグビー選手。

人物

東京都生まれ。福澤諭吉の玄孫である[1]。諭吉の次男・福澤捨次郎時事新報社長)の家系で、叔父に福澤武三菱地所会長)、親族に福澤幸雄(レーサー)などがいる。幼稚舎から大学まで慶應義塾で過ごした。慶應義塾大学法学部卒業。

平成15年度、『さとうきび畑の唄』で文化庁芸術祭大賞を受賞している。平成25年度、『半沢直樹』の演出で第78回ザテレビジョンドラマアカデミー賞監督賞を受賞[2]

来歴・略歴

学生時代まではラグビーの有名選手であった。慶應義塾幼稚舎(小学校)から始め、その後慶應義塾普通部(中学校)、慶應義塾高等学校慶應義塾大学と一貫して続けた。特に、慶應義塾高等学校蹴球部(高校ラグビー部)在籍時は、ラグビー高校日本代表にも選ばれた。

慶應義塾體育會蹴球部(大学ラグビー部)在籍中は上田昭夫監督の下、1985年全国大学ラグビーフットボール選手権大会で優勝、同年の大学日本一と社会人日本一が対戦し、真のラグビー日本一を決める日本ラグビーフットボール選手権大会においてはトヨタ自動車(現在チーム名・トヨタ自動車ヴェルブリッツ)を破り 慶應史上初のラグビー日本一に輝いた。

また個人としては、大学時代に関東代表、学生日本代表、日本代表A(23歳以下日本代表)にも選ばれ、また190cm100kgと日本人離れした体格を持っていたが、怪我のためか大学を卒業と同時にラグビーと一切の縁を切った。

大学卒業後は富士フイルムに入社するも、映画・テレビドラマに関わりたいという夢を捨てきれず、1989年東京放送TBSテレビ)に中途採用[3]。入社早々、ドラマ部に配属され『3年B組金八先生』シリーズ、『砂の器』、『さとうきび畑の唄』、『華麗なる一族』など、数多くのテレビドラマの演出を手掛ける[4]。特に『3年B組金八先生』では、第5シリーズから第7シリーズまで35本の演出を手掛け「金八」人気の再燃に貢献した。

日経エンタテインメント!』の調査によると 2007年現在、福澤は日本で最も視聴率を獲得するドラマディレクターとされている。特に自ら原作権を獲得して、企画した『半沢直樹』が平成ドラマ1位の視聴率を獲得し、社会現象を起こした。

2005年に、2006年1月に東宝系の劇場で公開予定だった映画『涙そうそう』の監督を担当していたが、撮影中に病気で倒れて入院し降板した。これにより制作が延期された。結局、監督を土井裕泰に代えて制作を再開、2006年9月30日に映画は公開された(涙そうそうプロジェクトを参考)。

2008年11月22日劇場公開の映画『私は貝になりたい』で監督を務める。上記の事態により、正式にはこれが初の映画監督作品となる。

備考

テレビドラマ

映画

出典

  1. 最高視聴率を更新したドラマ「半沢直樹」 4つの見どころ (2) 人民日報 2013年8月5日
  2. テンプレート:Cite journal
  3. 監督も想定外!「半沢直樹」メガヒットの裏側 なぜ、銀行ドラマが視聴率30%を叩き出せたのか? 『東洋経済オンライン』 2013年8月12日
  4. 【ヒットで振り返る2007年:テレビ編】視聴者の“二極化”に対応できた番組がヒットした 『日経トレンディネット』 2007年12月25日

外部リンク