神舟

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神舟(しんしゅう、Shénzhōu / シェンチョウ)は中華人民共和国が打ち上げた有人宇宙船。「神舟」は、「神州 Shénzhōu」(中国の美称の1つで「神の国である麗しの中華」のような意味)と同じ音である。神舟5号によって同国初の有人軌道飛行に成功。有人宇宙飛行に自力で成功したのは世界でもソビエト連邦アメリカ合衆国に次ぐ3番目で、42年ぶりとなった。

機体

ロシアソユーズ宇宙船を基本としている為、構造は非常に似ている。3つのモジュールから構成され、小型の太陽電池パドルを備えた軌道モジュール、半楕円状の帰還モジュール、大きな太陽電池パドルを持った推進モジュールがある。地球に帰還するのは真ん中の帰還モジュールのみで、推進モジュールは使い捨てだが、中国固有の設計思想で作られた軌道モジュールは捨てずに周回衛星とすることができるほか、次回の有人打ち上げの際に宇宙空間で回収、ドッキングできるように設計されている。これにより、軌道モジュールを使用した長期の無人宇宙実験ができ、また将来の宇宙ステーション建設の際の技術習得につなげられると考えられる。

帰還の方式もソユーズ宇宙船とほとんど同じである。逆噴射を行った後、帰還モジュールを分離して再突入する。突入時のGは4-5G、高度10kmでパイロットシュートを展開し、続いてドローグシュートを展開した後、高度8kmで主パラシュート1枚を展開(非常時は予備シュートを展開するが、これもソユーズ宇宙船と全く同様)、高度6,000mで280kgのヒートシールドを投棄、投棄20秒後に座席のシート高を上げて着地時の衝撃に備える。高度1mで4基の固体ロケットを噴射して衝撃を緩和させる[1]

神舟計画の経緯

背景

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中国は米ソの宇宙開発時代初期にソ連の援助で独自の宇宙開発計画を推進しようとしたが、1960年代に両国の関係が悪化したため(中ソ対立)、ソ連からの技術供与が中断した。このため同国は自力でロケットなどの開発を進めた結果、1970年4月24日、ソ連(現ロシア)・アメリカフランス日本に次いで世界で5番目に長征1号ロケットで人工衛星東方紅1号」の打ち上げに成功した。また、1975年11月26日には帰還式人工衛星大気圏再突入に成功している。

1986年から宇宙計画の大綱といえる「863計画」の中では有人宇宙飛行に初めて触れ、宇宙船の検討を行ってきた。アメリカ航空宇宙局 (NASA) が未来の宇宙機関として宣伝してきたスペースシャトルの様に、有翼式の再使用型宇宙往還機を推す声がほとんどであった中、技術者たちは使い捨てのソユーズ方式を選んだ。スペースシャトルのような宇宙往還機は非常に複雑な技術であり、基礎技術の弱い中国では不可能だとして、堅実な方法を選んだのである。

1992年4月に「神舟」計画(プロジェクト921)を発表する。この命名は、江沢民党総書記(当時)によるものであるといわれる。

1993年6月には、宇宙事業制作を統括する中国国家航天局(中国航天)、ロケット・人工衛星の国営企業、中国航空航天総公司を設立して高性能ロケットの開発に集中。

1995年3月にロシア連邦と有人衛星技術供与協定を成立させ、ソ連の崩壊後、外貨獲得のためにロシアが提供してきたソユーズ宇宙船の技術を研究し、独自の宇宙船の開発を行ってきた。また、モスクワでの宇宙飛行士の訓練を受けて打ち上げを目指してきた。 2011年11月のThe voice of Russiaの報道によれば、ロシア機械技術研究大学の技術輸出部の部長と3人の職員がロシアの秘密技術を中国に違法に売った罪で2005年に5-20年の禁固刑を宣告されたということであり、ソユーズ宇宙船の技術が中国で使われている理由の一端が伺える。[2]

1998年5月2日に改良型ロケット試験機「長征2号丙」の打ち上げに成功(長征2Fとなる)。

中国はアメリカ・ロシア中心の国際宇宙ステーション (ISS) への参加を認められていないため、将来的には自前の宇宙ステーションの建造を目指している。

神舟1号

1999年11月20日甘粛省酒泉衛星発射センターから長征2F型ロケットによって打ち上げられた。地球周回軌道を21時間飛行した後、帰還カプセルが内モンゴル自治区に着陸した。

神舟2号

2001年1月10日打ち上げ。サル、イヌ、ウサギ、カタツムリなどの動物を乗せており、生命維持装置の実験を行った。軌道変更用エンジンを3度使用して軌道変更実験を行い、3月16日に帰還カプセルの回収に成功した。軌道上に残ったモジュールもその後半年にわたって運用を続け、搭載した実験装置による宇宙実験を実施した。

神舟3号

2002年3月25日に打ち上げ。宇宙飛行士のダミー人形を乗せ、船内環境の計測と、独自開発した宇宙服の動作テストを実施。地球周回軌道を108周した後、4月1日に帰還カプセルの回収に成功した。

神舟4号

2002年12月30日に打ち上げ。有人打ち上げに向けた最終リハーサルを行い、打ち上げ数時間前まで飛行士が搭乗して準備を行った。3号同様に人形を乗せ、宇宙空間では搭載機器による実験を行う。翌2003年1月5日に帰還カプセルの回収に成功した。同時に打ち上げられた電子偵察衛星では、補助ロケット噴射で方向を逆転させ、一時的に軌道を離脱させる遠隔操作、衛星からの偽装物体放出など、軍事色の強い実験も行った。

神舟5号

ファイル:Shenzhou5-3.JPG
神舟5号の帰還モジュール

2003年10月15日午前9時(現地時刻:UTC+8)、空軍の楊利偉(ヤン・リーウェイ)中佐(当時38歳)1人を乗せて打ち上げられた。高度343kmの円軌道を約21時間(14周回)飛行した後、10月16日午前6時23分(同)に同国内モンゴル自治区の草原地帯に着地した。楊中佐は無事に帰還した。

神舟6号

2005年10月12日打ち上げ。2度目の有人宇宙飛行に成功した。乗組員は、費俊竜(フェイ・ジュンロン)と聶海勝(ニエ・ハイション)の2名で10月17日に無事帰還。打ち上げの模様がはじめて中継放送され、自信の程を世界にあらわした。

神舟7号

2008年9月25日に打ち上げ[3]。乗組員は志剛(ジャイ・ジーガン)、劉伯明(リウ・ボーミン)、景海鵬(ジン・ハイポン)の3人[4]。9月27日に志剛が15分間の船外活動を行った[5]後、翌9月28日に内モンゴル自治区中部四子王旗の着陸場に無事帰還した。

神舟8号

2011年11月1日に無人で打ち上げられ、無人の宇宙ステーション実証機天宮1号とのドッキング試験を2回行った後、11月17日に帰還した。

神舟9号

2012年6月16日に打ち上げ。乗組員は景海鵬劉旺劉洋(女性)の3人。6月18日、天宮1号との自動ドッキング[6]、6月24日午後、手動ドッキングに成功[7]、6月29日午前中国内モンゴル自治区に着陸、無事帰還した[8]

神舟10号

2013年6月11日に打上げ[9]。乗組員は聶海勝張暁光王亜平(女性)の3人。天宮1号とは6月13日に自動で、また6月23日に手動でドッキングをおこなった[10]。6月26日午前、中国内モンゴル自治区内に無事帰還した[11]

神舟11号

神舟12号

神舟13号

神舟14号

中国の宇宙開発展開

神舟とは別に、2003年10月に中国航天は独自の月探査プロジェクト「嫦娥計画嫦娥とは、月に住んでいるという伝説の仙女)」を発表し、2012年までに月面軟着陸と探査車による月面調査を、2020年までに月面の物質を地球へ持ち帰る事を目標とした長期計画を開始した。2004年2月に月面探査プロジェクトチームが結成、この第一段階として、国防科学技術工業委員会は2007年10月に、月面探査機の「嫦娥1号」を打ち上げた。(当初は2006年12月予定)さらに火星などの惑星探査、有人月計画を行うことも目指している。

脚注

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関連項目

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外部リンク

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  1. テンプレート:Cite news
  2. テンプレート:Cite news
  3. 神舟7号、打ち上げ成功 宇宙飛行開始 人民網日本語版 2008年9月25日、人民日報社
  4. 「神舟7号」の3人の飛行士が確定 CRI Online 2008年9月23日、中国国際放送局
  5. 神舟7号の飛行士、宇宙遊泳に成功 人民網日本語版 2008年9月27日、人民日報社
  6. AFPBB News2012年6月27日閲覧
  7. 朝日新聞デジタル2012年6月25日閲覧
  8. 朝日新聞デジタル2012年6月29日閲覧
  9. テンプレート:Cite news
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