石井正弘

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テンプレート:政治家 石井 正弘(いしい まさひろ、1945年11月29日 - )は、日本政治家自由民主党所属の参議院議員(1期)。

官僚建設省職員)出身で、公選14-17代岡山県知事(4期)、文部科学省中央教育審議会委員(第3期~第4期)、自然エネルギー協議会初代会長(2011年~2012年)等を歴任。

来歴

1945年岡山県上道郡光政村(現・岡山市東区)に生まれる。岡山県立岡山操山高等学校東京大学法学部を卒業。1969年建設省に入省し、岐阜県民生部児童家庭課長、建設大臣秘書官、民間住宅課長、河川総務課長、大臣官房文書課長、建設大臣官房審議官などを歴任。

1996年、6期24年にわたり県知事を務めた長野士郎の引退に伴い新人対決となった岡山県知事選挙に、自民党衆議院議員平沼赳夫岡山3区選出)に誘われ、自民党推薦で立候補した。元衆議院議員で新進党推薦の江田五月が新進党衆議院議員で元農林水産大臣加藤六月や新進党を支持していた創価学会からの支援を受けたことにより激しい選挙戦となったが、江田五月、日本共産党推薦の前律夫、無所属辻山清らを破り、初当選した。知事1期目から行財政改革に取り組み、通商産業省官僚でのちに大阪府知事となる太田房江を副知事に迎えた。

2000年の岡山県知事選挙では自民党・民主党公明党社会民主党の推薦を受け、共産党推薦候補を破り、再選。さらに2004年の岡山県知事選挙でも自民党・民主党・公明党・社民党の推薦により共産党推薦候補を破り、3選。

4選を目指した2008年の岡山県知事選挙では、前任の長野に続いて多選となることや12年間県政を担当してきたにもかかわらず同年6月に「財政危機宣言」を発表したことなどが批判され、政党からの推薦が見送られることとなった。対立候補は元岡山市職員でちくわ笛奏者として知名度のあった住宅正人に一本化され、政党の推薦を受けない者同士の選挙戦となった。約31万票を集めた住宅に対し、石井が36万8000票を集め辛勝した。石井に対する批判のほか国政における自民党への批判も影響し、岡山市や倉敷市など都市部の一部では石井の得票を住宅の得票が上回る現象が見られた。

2012年6月岡山県議会代表質問において同年10月に行われる知事選挙への不出馬を表明し、同年11月に岡山県知事を退任した。同時に2013年夏の参議院議員選挙に自民党公認で立候補することを表明。

2013年7月第23回参議院議員通常選挙では、自民党・公明党の推薦を受け岡山県選挙区より立候補した。49万票(得票率65.5%)を獲得し、元民主党衆議院議員の高井崇志、共産党推薦の垣内京美、幸福実現党推薦の安原園枝を破った。同選挙区で自民党が議席を獲得したのは2001年第19回参議院議員通常選挙以来12年ぶりとなった。

略年譜

  • 1945年昭和20年)11月 - 岡山県上道郡光政村政津(現・岡山市東区政津)に生まれる。
  • 1952年(昭和27年)4月 - 光政村津田村組合立政田小学校入学。(1953年2月から西大寺市立、現・岡山市立政田小学校)。(~1958年)
  • 1958年(昭和33年)4月 - 西大寺市立上南中学校入学。(現・岡山市立上南中学校)。(~1961年)
  • 1961年(昭和36年)4月 - 岡山県立岡山操山高等学校入学。(~1964年)
  • 1965年(昭和40年)4月 - 東京大学法学部入学。(~1969年)
  • 1969年(昭和44年)4月 - 建設省入省。
  • 1978年(昭和53年) - 岐阜県民生部児童家庭課長へ出向。
  • 1983年(昭和59年) - 建設大臣秘書官。
  • 1991年平成2年) - 民間住宅課長、河川総務課長、大臣官房文書課長を歴任。(~1995年)
  • 1995年(平成5年) - 建設大臣官房審議官。(~1996年)
  • 1996年(平成8年)10月 - 岡山県知事選挙に自由民主党推薦で立候補し、初当選。
  • 2000年(平成12年)10月 - 岡山県知事選で再選(無所属、自民党・民主党公明党社民党推薦)。
  • 2004年(平成16年)10月 - 岡山県知事選で3選。
  • 2008年(平成20年)5月 - 定例記者会見で財政危機宣言を発表。
  • 2008年(平成20年)10月 - 岡山県知事選で4選。
  • 2012年(平成24年)6月 - 岡山県議会代表質問にて知事選挙不出馬を表明。
  • 2012年(平成24年)11月 - 4期務めた岡山県知事を退任、2013年夏に行われる予定の参議院選挙に自民党公認で岡山県選挙区より立候補することを表明。
  • 2013年(平成25年)7月 - 第23回参議院議員通常選挙岡山県選挙区で初当選。参議院議員に就任。

政策・主張

岡山県知事時代

6期24年にわたった前任の長野士郎県政では、瀬戸大橋の開通(1988年)、岡山空港の移転開港(1988年)などの大型開発事業により岡山県内の交通インフラを飛躍的に向上させた半面、吉備高原都市構想や倉敷チボリ公園の誘致(1997年開園)など甘い見通しに基づいた事業により、県財政に約8000億円に上る累積債務が残された。石井は1期目から行財政改革大綱をまとめ、県職員数の削減および給与の一律7%削減、吉備高原都市構想の見直し・凍結、倉敷チボリ公園事業からの撤退、県有施設の廃止・売却など行財政改革に取り組んだテンプレート:要出典

3期目終盤の2008年6月2日の定例記者会見では、自治体財政健全化法に基づいて起債制限など国に管理される財政再生団体に転落する可能性が2011年度中にもあるとして、「財政危機宣言」を発した。構造的に見込まれる400億円規模の財源不足を解消するため、同年8月に「岡山県財政構造改革プラン(素案)」[1]を公表した。4選後の同年11月には「岡山県行財政構造改革大綱2008」を策定し、(1) 職員数の削減、(2) 組織体制の再構築、(3) 職員の意識改革と人事制度、(4) 事務事業の削減、(5) 公共事業の削減、(6) 歳入確保、(7) 公の施設の閉鎖・譲渡・集約化、(8) 市町村の事務・権限移譲、(9) 外郭団体等の抜本的な見直し、(10) 効果的な行政評価システムの構築の10分野に及び、これらの取組を2012年度(職員数は2013年度)までに実施することにより、一般財源で396億円の収支不足を解消し、歳入と歳出のバランスが取れた持続可能な財政構造を確立することを目標に掲げた。

4期16年間の行財政改革は、岡山県の公債費比率を全国最下位(1997年)から全国25位(2009年)に、地方債依存度を15.4%(1997年)から6.2%(2010年)にまでそれぞれ改善させるなど、一定の成果をあげたテンプレート:要出典

その他、在任中に取り組んだ事業として、晴れの国おかやま国体2005年)や第25回国民文化祭・おかやま2010(2010年)の開催、3次にわたる「おかやま夢づくりプラン」による、岡山空港の滑走路3000m化事業、水島コンビナート国際バルク戦略港湾の選定と総合特区への指定、小・中学校35人学級の推進、岡山県立図書館の開館(2004年)などが挙げられる。また、地方分権改革・道州制の旗振り役を担い、全国知事会の「道州制特別委員会委員長」、「日本のグランドデザイン構想会議座長」などを務め、岡山を州都とする「中四国州」を提唱した。その他、 文部科学省中央教育審議会委員(第3期~第4期、2005年~2009年)、ソフトバンクなど民間企業と35道府県で構成する自然エネルギー協議会初代会長(2011年~2012年)を務めた[2]

参議院議員時代

2013年の参議院選挙では、「地方を、熱くする。」をスローガンに、以下の主張を展開した[3]

  • 産業を、熱く。 - 持続可能な産業構造をつくります。:景気回復、持続可能な日本の産業構造、農林水産業などの基幹産業の活性化、再生可能エネルギーの普及、新産業の育成による若者の雇用確保、中小企業への支援。
  • 人を、熱く。 - 明日の日本を担える人づくりを行います。:学力向上、グローバル人材の育成。
  • 安心社会を、熱く。 - 安全で安心な国づくりを実行します。:地域の課題の国政への反映、東日本大震災を教訓とした防災・減災対策の拡充強化、子育て支援、医療保健福祉の充実。
  • 地方を、熱く。 - 地方分権改革を推進します。:地方分権改革の推進、道州制の実現。
  • 日本を、熱く。 - 未来へつなぐ国政改革を実現します。:産業政策、エネルギー政策、社会保障政策に取り組む。外交政策では諸外国との協調を基本に、領土問題については毅然とした態度を示す。

人物

所属団体・議員連盟

脚注・出典

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関連項目

外部リンク


テンプレート:岡山県知事
  1. 岡山県財政構造改革プラン(素案),財政構造改革について - 岡山県ホームページ
  2. 「自然エネルギー協議会:35道府県が参加 秋田で設立総会」、毎日新聞東京夕刊、2011年7月13日、8頁。
  3. 石井まさひろ基本政策 5つのビジョン(参議院議員 石井まさひろ事務所公式サイト)
  4. 岡山県晴れの国BBチャンネル(岡山県総合政策局公聴広報課)