瑞泉寺 (鎌倉市)

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瑞泉寺(ずいせんじ)は、神奈川県鎌倉市二階堂にある臨済宗円覚寺派の寺院。山号は錦屏山(きんぺいさん)。本尊は釈迦如来で、開基は二階堂道蘊である。鎌倉随一の花の寺、紅葉の名所としても知られている。

境内

鎌倉宮の脇をさらに山に向かって登るとある静かな寺である。寺のある一帯は紅葉ヶ谷(もみじがやつ)と呼ばれる谷戸(やと)に位置している。境内は季節ごとに様々な花で彩られ、つつじ牡丹マンサクなど、一年中花の絶えることがない。特にスイセンが有名な「花の寺」として知られている。本堂裏の庭園は夢窓疎石による岩盤を削って作られた禅宗様庭園で、書院庭園の起源となった。荒廃していたのを後に発掘復元した。また、背後の山頂には徧界一覧亭と呼ばれる景勝地があったが、現在は入ることができない。

瑞泉寺の総門脇より入る山道は、瑞泉寺の裏山を通って、建長寺、今泉方面へ出ることのできる天園ハイキングコースの一部となっている。瑞泉寺の裏山では、得宗最後の北条高時の首塚伝説を残す「首やぐら」と呼ばれるやぐら群がある。

歴史

鎌倉幕府の重臣であった二階堂道蘊が嘉暦2年(1327年)、夢窓疎石を開山として創建した寺で、当初は瑞泉院と号した。足利尊氏の四男で、初代鎌倉公方の足利基氏夢窓疎石に帰依して当寺を中興し、寺号を瑞泉寺と改めた。以後、鎌倉公方足利家の菩提寺となっている。禅寺として、鎌倉五山に次ぐ十刹(じっせつ)の筆頭格の扱いを受け、以後、夢窓派の拠点として重きをなしたが、公方家4代足利持氏による永享の乱で衰亡した。

瑞泉寺は、文学や学問とゆかりの深い寺でもある。鎌倉時代には五山文学の拠点として栄え、近世には徳川光圀が自身の鎌倉旅行を『新編鎌倉志』として編纂をさせたという。境内には、久米正雄の墓、高浜虚子久保田万太郎吉野秀雄大宅壮一山崎方代吉田松陰などの碑がある。現在の住職歌人大下一真である。

伽藍

境内は、「瑞泉寺境内」として、1971年(昭和46年)11月8日、国の史跡に指定された。庭園および錦屏山上の一覧亭にいたる登坂路は旧態を良好に保存している。

伽藍を構成する建造物としては、総門、山門、仏殿、書院、客殿、地蔵堂、開山堂などがあるが、いずれも、ほとんど大正以降の再建である。

文化財

  • 木造夢窓国師坐像(重要文化財) - 南北朝期の作品。
  • 千手観音像(鎌倉市指定有形文化財)
  • どこも苦地蔵 - もと扇ガ谷の地蔵堂にあった地蔵菩薩像。昔、堂守が貧しさゆえに逃げ出そうとしたところに、この地蔵が堂守の夢枕に立ち、「どこも苦、どこも苦(苦しいのはどこも同じ)」と言ったという伝承がある。
  • 瑞泉寺庭園名勝) - 夢窓疎石の作庭による方丈書院の庭園。長らく埋もれていたものを、古図面と発掘調査の結果に基づいて昭和45年(1970年)にほぼ創建当初の地割にしたがい復原したもの。凝灰岩の岩盤を掘り込んだ、大胆な造形が見どころとされている。鎌倉にのこる鎌倉時代の唯一の庭園として貴重である。

交通

関連項目

外部リンク

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