王毅

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テンプレート:中華圏の人物 王 毅(おう き、1953年10月19日-)は、中華人民共和国外交官政治家。第11代中華人民共和国外交部長。過去に、外交部副部長、中国共産党第17期中央委員、駐日中国大使等を歴任。立命館大学第35号名誉博士。

日本語英語に堪能で、日本では会見や講演をしばしば日本語で行う。


学歴

北京第二外国語学院アジア・アフリカ語学部卒業

南開大学世界経済専攻経済学修士

外交学院国際関係専攻博士課程修了


略歴

北京出身。黒龍江省に8年間下放された後に北京第二外語学院で日本語を学び、1982年中華人民共和国外交部に入省。1983年胡耀邦総書記訪日の際に執筆したスピーチが評価される。日本課長、日本大使館参事官、アジア局副局長、同局長。日本語のプロとして知られ米国との縁は比較的薄かったが、対米関係を睨んで英語の勉強を本格化させ、1997年8月から半年間、局長の身分のままジョージタウン大学に留学した。

1998年に部長助理(外務大臣次官補)を歴任。助理時代には旧日本軍遺棄化学兵器に関する日本との交渉にあたり、1999年7月30日両国の覚書に調印。

2001年3月からアジア担当副部長(外務次官)。六者会合での中国代表となり訪米、訪朝。2003年8月27日から北京で開催された第1回六者会合のホストとして議長役を務める。2004年9月から2007年9月21日まで駐日本大使を務めた。なおこの間李肇星の後任外交部長となる可能性が取りざたされたこともあるが、実現しなかった。帰国後は外交部の政策研究担当の常務副部長に就任、2007年10月には党中央委員に選出された。

2008年6月3日中国共産党中央台湾工作弁公室と国務院台湾事務弁公室主任に任命された。同ポストは台湾を国内とみなすため地方トップが就任するのが慣例で、今回も盧展工福建省党委書記の起用が考えられていた。外交官出身の王毅が選ばれた背景には、台湾との対話が停滞する状態を好転させたいという見方[1]がある一方、知日派の李登輝総統就任した以降急接近した日台関係を牽制するのが目的という見方[2]もある。

2013年3月16日、李克強国務院総理の下で、外交部長に就任。

主な発言

  • 2004年12月16日 「もしもそういうことがあれば理解できないし、受け入れることはできない」―台湾李登輝前総統への観光ビザ発給方針を固めたことに対して。
  • 2004年12月21日 「トラブルメーカーが戦争メーカーになるかもしれない」―李登輝への観光ビザ発給に関して。
  • 2005年4月27日 「かつて政府の顔である首相官房長官外相の3人は在任中に参拝しないという紳士協定があった」―1985年の中曽根康弘元首相の公式参拝後に取り交わされたと主張。後に個人的な友人であった胡耀邦(当時総書記)を窮地に追い込まないため(中曽根は「政争の具に使われないため」と表現したと言われる)、在任中は参拝しないことになったと明らかになる。中曽根自身は「大使の記憶違い」と否定している。
  • 2005年5月11日 「戦後日本の平和主義は中国の教科書にも書いてあるし、中国人も知っている」―中国の歴史教科書に戦後の日本についてほとんど記述が無いと指摘されて。
  • 2005年11月24日 「中国の立場ですね、継続性のあるもので、変わっておりません。1985年、このことですね、A級戦犯が祀られていることが公になってから、我々も反対の立場を貫いてきております。」―「A級戦犯」合祀が公にされたのは1979年。1980年には訪中した中曽根元首相に人民解放軍副参謀総長・伍修権は日本はソ連に対抗するため軍事力を強化する必要があると強調、軍事予算をGDP比1%にとどめず2%に倍増せよと要求している。1985年に初めて中国が靖国参拝に抗議する以前、日本の歴代首相は複数回、靖国神社を公式参拝している。
  • 2005年11月24日 「我々はいわゆるB級、C級戦犯ですね、全部釈放し、日本に帰らせたのです」―中国各地でB級、C級戦犯として拘束され、命を奪われた日本兵は171名にのぼる。
  • 2005年11月24日 「反日教育はありません」―反日教育は実施されており大使の発言は虚偽である。
  • 2005年11月24日 「もうすでに交渉を通じてお互いに認め合うラインではないのです」―東シナ海の日中中間線に関して。過去30年ほど国際司法裁判所における海洋上の境界線はすべて中間線を基本としている。中国のみが中間線を認めず、自国の大陸棚と主張、国際法の禁ずる日本の排他的経済水域での資源調査を行っている。
  • 2005年11月3日 「中国の軍事予算の審議・承認は全国人民代表大会に委ねられており、(軍事予算は)公開された透明なものだ」―防衛大学校で日中関係について講演した際に言及。
  • 2006年1月29日 「それは本当にうわさだ」―前年末から秘密裏に帰国し、帰国中に日中関係の冷え込みから対日政策の見直しについて問われ。外交筋では重病、更迭などが噂されていた。
  • 2006年8月3日 「隣人の嫌がることを控えることが東洋人の伝統」―「第2回 東京-北京フォーラム」での全体会議の挨拶にて、安倍晋三内閣官房長官(当時)の同挨拶の直後の発言。8月15日の終戦の日の小泉純一郎首相の靖国神社への参拝を牽制。
  • 2008年6月23日 「中国と台湾の平和統一は日本にとっても利益になる。こうした共通認識が日本国内でできていないことは残念だ」「日本側にはシーレーンや安全保障などの面で困るという判断があるかもしれないが、大局に立って見守ってほしい」―尖閣諸島沖で日本の巡視船と接触した台湾の遊漁船が沈没した事故に中台で対日抗議の世論が沸騰した後、訪中した日本の国会議員との北京市内で会談での発言。[3]

脚注

  1. 共同通信 2008年6月3日「王毅氏が台湾弁公室主任に 中台関係改善で起用
  2. 産経新聞 2008年5月31日「王毅前駐日大使を台湾担当に起用 中国“異例”人事 日本の接近牽制
  3. 産経新聞 2008年6月24日「台湾統一は「日本に利益」

関連項目

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先代:
武大偉
駐日特命全権大使
第9代:2004年 - 2007年
次代:
崔天凱
先代:
戴秉国
外交部筆頭副部長
2007年 - 2008年
次代:
王光亜
先代:
陳雲林</small>
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国務院台湾事務弁公室主任
2008年 - 2013年</dd></dl>
次代:
張志軍
先代:
楊潔篪</small>
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外交部部長
2013年 - 在職</dd></dl>
次代: