王塚古墳

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王塚古墳おうづかこふん)は、福岡県嘉穂郡桂川町に存在する古墳で、5つの色彩で彩られた壁画が石室内ほぼ全面に施されていることで知られている。 日本特別史跡

概要

1934年(昭和9年)9月30日に採土工事中に前方部が削られ、横穴式石室の前室右壁隅が開口し、偶然発見されたもので、6世紀中ごろに作られたとされている。形状は前方後円墳であるが、先の工事によって墳丘の半分以上は失われている。

福岡県によって調査され、1937年(昭和12年)6月15日に国の史跡指定を受けた後、1952年(昭和27年)3月29日装飾古墳として国の特別史跡第1号に指定され、出土遺物は1956年(昭和31年)重要文化財に指定され、京都国立博物館に委託保存されている。

失われた部分を完全に復原すると、全長約86メートル[1]、後円部径約56メートル、後円部高約9.5メートル、前方部幅約60メートル、墳丘は二段築成で黒色と赭土色(あかつちいろ)の粘質土を交互に積み上げ版築状に造り上げている。斜面には円礫の葺石が葺かれていて、円形埴輪も確認されている。二重の周濠が巡らされている。

壁画

現在、石室は完全に密閉されて保存されており、通常は見学することは出来ないが、春と秋の年2回一般に公開されている。

王塚古墳の最大の特徴は、石室のほぼ全面に施された壁画である。描かれている図像は馬、靫(ゆぎ)、盾、刀、弓などのほか双脚輪状文、蕨手文、三角文、円文などの幾何学的文様。 2005年7月現在、日本で確認されている装飾古墳の壁画で使われている色は6色()あるが、そのうちを除く5色が使われており、国内最多である。

構造

墳丘

墳丘の構造にも特徴があり、黄色土黒色土を交互に積み上げて作られている。

石室

後円部に作られた石室内部は横穴式で遺体を収める後室玄室)とその手前に羨道・前室がある。石室の構造で特徴的なのは奥壁の上部に石棚、下部には遺体を収納する石棺、その前面に灯明台石が置かれている。玄室入り口の上部に小窓を設けている。[2]。石棺を覆う石屋形をもち、棺床には二人を収納する場所が区画され、頭部を置く二個の窪みがつくられており、石屋形の外にも二個の石枕が置かれているところから、4人の被葬者が埋葬されたと推定されている。

  • 大きさは以下の通り
全長  6.75m
前室幅  2.80m
前室長   1.97m
前室高   2.17m
後室幅   3.00m
後室長   4.43m
後室高   3.72m

装飾の文様

王塚古墳に描かれている文様には以下の通り。

  • 騎馬像
  • 同心円文
  • 三角文
  • 双脚輪状文
  • わらび手文
  • 靫(ゆぎ)
  • 大刀

出土品

王塚古墳は発見されるまで未発掘の古墳だった。 そのため副葬品の大部分が残された状態で発見されている。 現存するものは全て国の重要文化財に指定されている。 発掘されたものは以下の通り。

馬具

  • 鐙(あぶみ)
  • 杏葉(ぎゅうよう)
  • 轡(くつわ)
  • 雲珠(うず)

鏡・装飾品

  • 変形神獣鏡
  • 管玉(くがたま)
  • 棗玉(なつめだま)
  • 切子玉(きりこだま)
  • 小玉
  • 耳環(みみわ)
  • 銀鈴(ぎんれい)

武具・武器

  • 大刀
  • 鉾(ほこ)
  • 刀子
  • 鉄鏃(てつやじり)
  • 挂甲(けいこう)の小札(こざね)

土器

  • 台付壺
  • 坏と蓋
  • 提瓶(さげべ)
  • 高坏(たかつき)

脚注

  1. 地形図から復元できる本来の墳丘長は約78メートル(豊島直博「九州を代表する豪壮な墓 -王塚古墳」/独立行政法人文化財研究所・奈良文化財研究所監修(2005) 193ページ)
  2. 長谷川清之「王塚古墳」(小林達雄編『考古学ハンドブック』新書館 2007年1月 254ページ)

参考文献

  • 独立行政法人文化財研究所・奈良文化財研究所監修『日本の考古学 -ドイツで開催された「曙光の時代」展』小学館 2005年 ISBN 4-09-681821-6

関連項目

外部リンク