牧谷宇佐美

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:Infobox baseball player 牧谷 宇佐美(まきたに うさみ、男性、1980年5月1日 - )は、北海道旭川市出身の元プロ野球選手外野手)。

経歴

プロ入り前

小学校4年生の時に野球を始める。小学校6年生時には軟式野球ながら全国大会への出場経験もある。中学時代は砲丸投げなど陸上部の活動も行っており、球団公式HPによると、2年時には旭川市の砲丸投げの記録を樹立している。

旭川実業3年夏には、140km/h台の直球を投じる速球派として注目されるも、地区予選で旭川北高校に惜敗している。甲子園出場はならなかった。

1998年度ドラフト2位でヤクルトスワローズに指名され、入団する。投手としても20勝以上を記録しているが、当時から俊足強肩で知られ、高校通算18本塁打をマークしていることから、野手としての評価も高かった。

プロ入り後

ルーキーイヤーの1999年投手として登録され、ファーム2年間で計11試合に登板するも、通算1勝2敗防御率14.03と結果を残すことが出来ず、翌2000年も一軍登板も果たせなかった。なおこの2年目までヤクルトには牧谷と同じく北海道出身の宇佐美康広が所属していた為、混同されることがあった。

2001年にプロ入り前から評価の高かった身体能力を見込まれ、二軍監督の小川淳司と話し合った末に、投手から野手に転向する。転向直後は確実性に苦しみ、2割前後の打率で推移することも多かったが、2004年以降は二軍で打率2割8分前後の成績は安定して残すようになった。2004年の二軍の試合において、2試合連続のサヨナラ打を記録し、注目を集めた。

2005年は、オープン戦において、初めて一軍の試合に出場。しかし、3打数安打と結果を出すことが出来なかった。イースタン・リーグでは打率.287、2本塁打、6盗塁を記録した。

2006年、二軍で打率.286、6本塁打、7盗塁の好成績を記録した。一軍の公式戦出場はならなかったが、徐々に信頼度は高まっており、一軍の練習に呼ばれる機会も増えている。

2007年も一軍出場はなかった。しかし二軍ではイ・リーグ最多の95試合に出場し、96安打で同リーグ最多安打を獲得した。打率.279、自己最多の9本塁打、10盗塁、51打点(同リーグ2位)の成績を残し、主力打者として活躍した。真面目な性格と練習熱心さから、目立った実績は無いにも関わらず、二軍首脳陣から大成を期待する旨をコメントされている。

2008年は開幕を二軍で迎えたものの好調を維持し、6月22日宮出隆自の抹消に伴い、自身初の一軍登録を受けた。翌6月23日、対オリックス戦7回1死満塁の場面で、代打で10年目にしてついに一軍初出場を果たした。チャンスでの登場だったが、惜しくも空振り三振に倒れた。その後7月1日の対巨人戦にも代打で出場したが、ラミレスのファインプレーに阻まれて結果を出すことが出来ず7月3日に登録を抹消された。イ・リーグではその後も前年同様主軸として活躍したが、リーグ最多の12併殺を記録するなど、再登録には至らなかった。

2009年、現役最後のシーズンで初の打率3割を記録したが10月1日に戦力外通告を受け、現役を引退。数日後、日本ハムから誘いを受け、球団職員に転身した。

2010年からは、日本ハムのベースボールアカデミーの講師となる予定。同年末、引退後に知り合った女性と結婚。

プレースタイル

を痛めて投手をやめた訳ではないため、外野手としては平均以上の肩力を誇る。遠投の最高記録は110m。

大柄な体格ながら、脚力もある。本塁から一塁までは、右打者としては俊足の部類となる4.03秒。

打撃はパンチ力は十二分に備えているが、その確実性が課題となっていた。

詳細情報

年度別打撃成績

テンプレート:By2 ヤクルト 2 2 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
通算:1年 2 2 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000

背番号

  • 46 (1999年 - 2001年)
  • 64 (2002年 - 2009年)

関連項目

テンプレート:ヤクルトスワローズ1998年ドラフト指名選手