火焔土器

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火焔土器 馬高遺跡の出土品。把手部分に典型的な鶏頭冠形が見える。

火焔土器(かえんどき)は縄文時代中期を代表する縄文式土器の一種で、燃え上がる炎を象ったかのような形状の土器を指す通称名。火焔型土器とも呼ばれる。装飾的な縄文土器の中でも、特に装飾性豊かな土器である。初めて発見された馬高遺跡標式遺跡として馬高式とされるものの一部が該当する。発掘時の愛称がそのまま通称として用いられている。ただし、考古学分野、特に土器型式の研究においては、「馬高式」の名が用いられる。

この土器様式に系統的に先行する様式は不明瞭といわれている。つまり、この様式が突然創造されたという奇妙さがある[1]。しかし、この土器の祖型は北陸地方の新保・新崎式土器、あるいは東北地方南部の大木式土器などの影響を受けてできあったとする考えもある[2]

分布

東日本全体では200以上の遺跡で出土している。信濃川流域の新潟県長野県北部、および阿賀野川流域の福島県西部の出土数が多い。北陸地方の富山県や東北地方の南部山形県群馬県栃木県から少数出土することがある。出土点数の大半は新潟県域の特に信濃川中流域に集中する傾向があり、長岡市馬高遺跡、十日町市笹山遺跡、野首遺跡などで特に多く出土したことが知られている。福島県では縄文中期から末期にかけての柳津町石生前遺跡(いしうまえ)、耶麻郡西会津町の上小島C遺跡、南会津郡南会津町の寺前遺跡、磐梯町と猪苗代町にまたがる法正尻寺遺跡などが知られる。

火焔土器と火焔型土器

火焔土器が初めて出土したのは新潟県長岡市の馬高遺跡で、1936年に近藤篤三郎らの調査によった。この調査による出土第1号の土器のみを「火焔土器(火焔A式1号深鉢土器)」と通称し、他のものや他遺跡出土のものを「火焔型土器」と呼ぶ慣習が一部にある。また、以前は「火焔形土器」と記述されていたが、最近では「火焔型土器」とされることがほとんどとなっている。ほかにも「火焔形式」、「火焔類型」、「火焔系」などの名称が存在する。加えて、「火炎」が使用される場合については、用例として「火炎土器」と「火炎土器様式」があり、「火焔」よりも広い概念(例えば火焔(型)土器と王冠型土器とを包括するものとして)を表していることが多い。以上の例は考古学的な概念規定の相違によるものであるため、研究者によって使用法が異なることがある。他方、かつて「火焰」の字が用いられていたものが最近「火焔」とされることが多いことについては、字体の移り変わりによるもので、概念的には同じである。

形状

火焔土器(火焔型土器)は殆どが深鉢形土器で、胴部は粘土紐を貼り付けてS字状、渦巻状などの文様を施す。縄文(縄の回転による施文)による装飾はほとんど見られない。上部には原則として4か所に大ぶりの把手(突起)を付す。把手は複雑な形状で、粘土紐によって装飾され、把手以外の口縁部は鋸の歯状に形作る。これらの装飾が何を表したものかは不明だが、全体の形状が燃え上がる炎を思わせることから火焔土器(火焔型土器)と呼ばれている。集落内の特定の場所で発見される傾向はなく、またオコゲがついているものも出土することから、煮炊きに使われたと考えられる。しかしその形状から見て何らかの祭祀的な目的に使われることがあったとする考えもある。

火焔(型)土器と王冠型土器

火焔土器(火焔型土器)には、口縁部と把手(突起)部の形状から区別される類似の土器が存在し、王冠型土器と呼ばれている。火焔土器(火焔型土器)と王冠型土器は同じ遺跡から出土することもあるが、口縁から把手の形状に関して類似したり互換したりするようなことがない。このことから、この2つの形状はなんらかの対立する概念として象形されたものではないかと推測されることがある。

国宝指定

十日町市の信濃川右岸段丘上に位置する笹山遺跡からは、1980年1986年にかけて実施された発掘調査により火焔土器(火焔型土器)が出土している。「新潟県笹山遺跡出土深鉢形土器」57点は1999年国宝に指定され、火焔土器(火焔型土器)が14点含まれている。教科書等に掲載されることの多い代表的な火焔土器(火焔型土器)(指定番号1)は「縄文雪炎」(じょうもんゆきほむら)と愛称が付けられ、国宝指定品の中でも中心的存在として扱われている。笹山遺跡の国宝指定土器は、現在十日町市博物館が所蔵している。

脚注

  1. 小林達雄「勝坂式土器様式圏と火炎土器様式圏の対立」208頁(佐原真 ウエルナー・シュタインハウス監修 独立行政法人文化財研究所奈良文化財研究所編集『日本の考古学』上巻 学生社 2007年4月)
  2. 相原精次・三橋浩『東北古墳探訪』彩流社 2009年 7ページ

関連項目

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