潜水泳法

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テンプレート:出典の明記 潜水泳法(せんすいえいほう)とは、もぐったままで水中を進む泳ぎ方である。競泳競技においては、水面近くを進行する際に生じる造波抵抗を軽減あるいは無くすことで高速の推進をすることを目的として用いる。

通常、腕は頭の上に伸ばした姿勢で、脚はバタフライキック(ドルフィンキック)で泳ぐ。無呼吸状態により血中の酸素を大量に消費するため、選手には相応の体力が要求される。

平泳ぎと潜水泳法

1955年にバタフライ泳法が平泳ぎから分離したあと、潜水の距離を伸ばすことによって記録更新が計られた。古川勝が1955年に世界新記録を樹立、1956年メルボルンオリンピックで金メダル獲得といった活躍をする。このメルボルンオリンピック200m平泳ぎでは吉村昌弘が銀メダルを獲得している。

しかし、メルボルンオリンピック直後に国際水泳連盟はルールを改正し、スタート、ターン後のひとかきひとけりとゴール前のひと掻きを除いて平泳ぎでの潜水を禁止した。

背泳ぎと潜水泳法

背泳ぎでの潜水泳法のことを特にバサロ泳法(バサロえいほう)と言う。1970年代後半、400m個人メドレーなどで世界記録を樹立したアメリカジェシー・バサロen:Jesse_Vassallo)が個人メドレーでバタフライから背泳ぎへ切り替える際、リズムを整える目的で考案した。ただし、「バサロ」というのは日本くらいで他の国では単に潜水泳法と呼んでいる。

1980年代に入り、背泳ぎ競技にバサロ泳法を取り入れて泳ぐ選手が多くなっていき、潜行距離が長い選手が主要大会の上位を独占するようになっていったが、それとともに背泳ぎ競技の形骸化や限度を超えた潜行の危険性を懸念する声も増加していった。そして国際水泳連盟は1988年ソウルオリンピックの直後、背泳ぎの潜水距離を10mに制限するルール改正を行った。1991年にこの制限は15mに緩和され、現在に至る。

日本では、鈴木大地がバサロ泳法を活用してソウルオリンピック100m背泳ぎ金メダルを獲得したことでよく知られている。潜水距離の制限について、鈴木大地が金メダルを獲得したことで(日本人の不利なように)ルール改正をされたという見方が日本ではよくされている。しかし、前述のようにソウルオリンピック以前から競技の形骸化や危険性を指摘する声はあがっており、またアメリカ国内ではデビッド・バーコフが短期間に3度世界記録を更新したことでルール改正されたという見方をする向きもあり、ルール改正が差別的思想で行われたとするのは早計である。

背泳ぎの潜水距離制限以後

1995年頃から青山綾里が100mバタフライの競技でスタートから30m以上潜行するスタイルで、1997年に世界短水路新記録を樹立、1998年パース世界選手権100mバタフライで銀メダルを獲得し活躍する。

しかし、この世界選手権の後にバタフライもスタートとターンの後の潜行可能距離が15mに制限されるルール改正が発表される。また、この改正で(本来自由であるはずの)自由形までも15m制限のルールが追加された。

この15m制限以後、50mや100mの競技では15mいっぱいまで潜行する選手が多く見られるものの、200mの競技ではそもそも体力の関係もあり3回のターンで平均5~7m程度の潜行で浮上するのが世界レベルでも一般的であり、潜水によって記録を伸ばそうという考え方は小さくなった。しかし、2007年世界選手権マイケル・フェルプスが200m自由形、バタフライで平均12mもの潜行を見せ、この2種目を含む5種目世界新記録7冠を達成したことで再び重要視されるようになる。

現在では特に背泳ぎ、バタフライにおいて15mまでを制限いっぱい潜行できるか、その15mをどれだけ速く泳げるかが勝負の重要な要素となっている。

脚注

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