渡瀬繁詮

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

渡瀬 繁詮(わたらせ しげあき、弘治元年(1555年) - 文禄4年(1595年))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将由良成繁の次男で、由良国繁の弟、長尾顕長の兄にあたる。正室は有馬則頼の娘。

はじめ北条氏に仕えていたが、やがて中央に上って羽柴秀吉の家臣となり、紀州征伐千石堀城の戦い)などで活躍した。その後、秀吉の命で豊臣秀次付の家老となるが、文禄4年(1595年)の秀次事件に連座して改易されたうえ、切腹を命じられた。嫡男がいたが遺領の相続は許されず、家臣で義弟(正室の弟)にあたる有馬豊氏が領地と家臣団を継承した。これは領内悪政のためと言われる。子孫は帰農した。