清水義親

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清水 義親(しみず よしちか、天正10年(1582年) - 慶長19年10月13日1614年11月14日))は、安土桃山時代江戸時代の武将。出羽国戦国大名最上義光の三男。最上家親の弟。清水義継(よしつぐ)の父。大蔵大輔。

最上氏の一族であった清水義氏の養子となり、2万1300石を領した(義氏から一字を受けて氏満(うじみつ)を別名として名乗っていたともされる)。豊臣氏の人質となった経緯から豊臣秀頼と交流があった。関ヶ原の戦いでは、上杉軍の追撃の総大将となる。1614年の大坂冬の陣の直前に、大坂方へ通じている嫌疑をかけられ、兄・家親に居城の清水城を攻められて、嫡子・義継と共に自害を余儀なくされた。

義親は豊臣家に人質になったのに対し、家親は徳川家に仕えた立場にあり、兄弟仲はあまり良くなかったとされる。これが家親が義親を攻めた遠因とも考えられる。

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