深大寺

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深大寺バス停付近の門前

深大寺(じんだいじ)は、東京都調布市深大寺元町五丁目にある天台宗別格本山の仏教寺院である。山号は浮岳山。

日本三大だるま市の1つ「深大寺だるま市」で知られている。隣接する東京都立神代植物公園は旧寺領であった。

沿革

「深大寺」の名称は、仏法を求めて天竺(インド)を旅した中国僧玄奘三蔵を守護したとされる神「深沙大王」(じんじゃだいおう)に因むと伝える。 天平5年(733年満功上人が法相宗の寺院として開創したと伝える。859年、天台宗に改宗する。1646年と1865年に火災に遭っており、堂宇の大半を失っている。現在の本堂は大正年間の再建である。

本尊は本堂に安置の阿弥陀三尊像。東京都では浅草の浅草寺に次ぐ古刹である。

文化財

銅造釈迦如来倚像
1909年(明治42年)に元三大師堂の壇の下から発見されたもので、現在は釈迦堂に安置。白鳳時代の作。関東地方には数少ない白鳳時代の仏像であり、顔立ち、流麗な衣文、若々しい青年を思わせる肉付けなどは、時代の特色を表している。倚像(いぞう)は、椅子に腰掛けたポーズの像を指す。日本の仏像では倚像は比較的珍しいが、白鳳時代の金銅仏にはまま見かける。重要文化財
梵鐘
永和2年(1376年)、山城守宗光なる人物が鋳造したもので、都内では3番目に古い。総高125.5㎝、口径68.8㎝、銅製。重要文化財。ひび割れなどの影響から、平成13年8月15日に新しい梵鐘が新鋳され、現在は釈迦堂に保管されている。
山門
元禄8年(1695年)に建てられたもので、深大寺で最も古い建造物。

水と深大寺

深大寺は湧水の多い国分寺崖線の崖面に抱かれるように立地し、現在でも境内に複数の湧水源をもつ。 湧水を利用した「不動の滝」は「東京の名湧水57選」に選定されている[1]。 門前町の側溝には多量の水が流れ、また周囲には神代植物公園の分園・水生植物園やわさび田を擁する都立農業高校神代農場など、谷戸地形と潤沢な水を利用した施設が広がっている。

崖線から湧き出す豊富な水は古くから田畑を潤し、人びとの素朴な信仰を集めてきた。深大寺によれば、水源地であるがゆえに霊場でもあったこの地が仏教の伝来以降あらためて注目され、“水神「深沙大王」”ゆかりの深大寺建立に至ったのではないかという[2]

深大寺そば」が付近の名物として発達したのももちろん水の恵みと無関係ではない。蕎麦の栽培、そば打ち、釜茹で、晒しに湧水が利用されただけでなく、水車を利用してのそばの製粉も行われてきた。

行事

厄除元三大師大祭(やくよけがんざんだいしたいさい)
毎年3月3日~4日に行われ、「深大寺だるま市」・「日本三大だるま市」として知られている。寺最大の行事であり、300店程の店が軒を並べて10万人前後の人々が訪れる。江戸中期、300年前から存在すると言われる。願掛けの際に梵字で「ア」,願いが叶ったら「ウン」の字を入れる。「お練り行列」・「元三大師御影供(がんざんだいしみえく)」がとり行われる。
そば守観音供養祭
深大寺そばにちなみ、毎年10月中旬に行われる。

周辺スポット

門前町
山門の周辺は歩行者専用の門前町ゾーンとなっており、名物「深大寺そば」を食べさせる蕎麦屋多数のほか土産物屋などが並ぶ[3]
神代植物公園
寺の北側に隣接して東京都立神代植物公園が広がり、最寄りの出入口として深大寺門が設けられている。
また、道路を挟んで寺の南東方向には谷戸地形があり、ここは同公園の分園・水生植物園として開放されている。
深大寺城
水生植物園に隣接して立地。

アクセス

ゆかりのある人物

深大寺を舞台にしたフィクション

脚注

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関連項目

外部リンク

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  • 東京の名湧水57選一覧 | No.28 深大寺不動の滝(調布市)東京都環境局) 2012-8-16閲覧。
  • 深大寺の歴史 | 深大寺開創と水神「深沙大王」深大寺公式ホームページ) 2012-8-16閲覧。
  • 参考:東京シティガイド