沖田十三

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テンプレート:Pathnav 沖田 十三(おきた じゅうぞう)は、『宇宙戦艦ヤマトシリーズ』の登場人物。

概要

西暦2147年生まれ。 地球防衛軍艦隊歴戦の宇宙戦士にして優秀な物理学者宇宙戦艦ヤマトの初代艦長として、イスカンダルへの旅を成功に導いた。 地球防衛軍司令長官藤堂平九郎は先輩、戦艦アンドロメダ艦長の土方竜は同期に当たる。 劇中では、常時艦長帽を被っており、艦長帽を取ったのは旧シリーズでは一作目の第一話のみである。

担当声優・俳優

声優

俳優

宇宙戦艦ヤマト

西暦2199年10月、ガミラス戦役における地球防衛軍艦隊最後の組織的戦闘となった冥王星会戦において、数・性能ともに圧倒的なガミラス艦隊と戦った。地球の科学技術力がガミラスに比して貧弱であったため、旗艦の沖田艦を残し(古代進の兄、古代守のミサイル艦は命令に反し現場にとどまった)、地球艦隊は壊滅してしまう。撤退命令に従わず徹底抗戦を主張してガミラス艦隊に特攻をかけようとする「ゆきかぜ」艦長古代守に「明日のために今日の屈辱に耐えるんだ、それが男だ」と説く。またこの戦いで実の一人息子も亡くしている。圧倒的不利な状況に追い込まれても絶望せず、ガミラスの降伏勧告を「バカめ」と一蹴[1]し、敗走中にも「最後の一人になっても諦めない」と不倒の闘志を見せる。

ずっと行動を共にしてきた戦友でもある徳川彦左衛門評して曰く「万に一つの可能性を発見したらそれを信じ、沈着冷静に行動する人」。その評価が示すように、冥王星会戦で地球艦隊が事実上壊滅した状況であっても、訓練生古代進島大介に「無駄死にはさせない」と発言。そして、秘密裏に建造されていた地球最後の宇宙戦艦ヤマトが完成すると、その初代艦長に就任し、宇宙放射線病という病を押して、14万8千光年の旅を率いる。病の進行と闘いながら指揮を執り続けていたが、前人未到且つ人類の命運の懸かった航海の艦長という重責と激務も相まって遂に倒れてしまう。復活を賭けて手術に臨み成功するが、(おそらく艦内の設備では)病の進行を遅らせるだけの効果にとどまった。その後、バラン星での戦闘時の古代進の働きを見て、彼を艦長代理に任命し補佐させながら指揮を執り続ける。

イスカンダル星到着直前のガミラス本星での戦いでは病が悪化し指揮を執れなくなっていたが、戦況に苦悩する艦長代理の古代進に起死回生の策を授けるなど、病床に有っても沈着冷静な判断力は失われることはなかった。イスカンダル到着時には、乗組員に対し篤く労いと感謝の言葉を述べた。

無事イスカンダルで放射能除去装置コスモクリーナーDを受け取り、地球への帰還の途につく間も病床を離れることは無く、地球への帰還を間近にして、艦長室の窓よりその姿を眺めながら「地球か……何もかも皆懐かしい」という台詞を残して、力尽きる。沖田の命日は『1』『さらば~』ではイスカンダルから帰還した9月5日であったが、『2』では10月10日となっている。

藤川桂介作、ひおあきら画の漫画版では、に冒されてイスカンダルを目の当たりにしながら到着する前に死亡し、宇宙葬された。

さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち・宇宙戦艦ヤマト2

地球を救った功績を讃え英雄の丘に銅像も立てられるも、僅か1年後には遥か昔の出来事として忘れ去られ戦没の日に英雄の丘に集まるのは元ヤマトクルーのみである。

地球防衛軍の制止を振り切り海底ドックから発進する際に佐渡先生とアナライザーによって艦長席の後上方に沖田艦長のレリーフが掲げられ、乗組員の心の拠り所、そして古代のラストシーンでの決意の発端となる。

宇宙戦艦ヤマトIII

本人は登場しないが、20話で惑星ファンタムにおいて古代の前に幻となって現れるシーンがある。また、第17話でデスラーがヤマトを表敬訪問した際、第一艦橋に掲げられた沖田のレリーフに跪いて敬意を表している。

宇宙戦艦ヤマト 完結編

死亡していたものと思われていたが、それは佐渡酒造の誤診による判断であった。実際には脳死には至っていなかったため、地球に帰還後、宇宙放射線病の本格的な手術を受ける。手術は奇跡的に成功し、長年、密かに療養していた[2]。水の惑星アクエリアスの接近という地球人類存亡の危機に際して復帰、再びヤマト艦長の任に就く。ディンギル率いる都市衛星ウルクと戦って辛うじて勝利を収めるが、アクエリアスの地球への接近を許してしまう。2203年、最期は地球水没を防ぐために特攻し、ヤマトと運命を共にした。

宇宙戦艦ヤマト 復活篇

古代の回想に登場(映像は完結編のもの)。また、ヤマト第一艦橋艦長席の背後には、完結編で外されたレリーフが再び掲げられている。終盤では真田志朗が英雄の丘を訪れ、沖田の像に敬礼をしている。

宇宙戦艦ヤマト2199

国連宇宙軍・連合宇宙艦隊司令長官。階級は宙将(提督)。後に宇宙戦艦ヤマト艦長に就任する。2141年12月8日生、2199年12月8日没、享年58。

2191年のガミラスとの遭遇時、軍からの先制攻撃の命令を「性急に過ぎる」として断固拒否し、軍務局長の芹沢に艦隊司令の職を解任されている。その後、芹沢に命令を受けた島大吾(ヤマト航海長・島大介の父)艦長の巡洋艦ムラサメが先制攻撃を行い、撃沈された。

この時の命令違反に対し、沖田は軍人としては間違っていると認めながらも「軍人であっても一人の人間として行動しなくてはならないときがある。」「人は間違いを犯す。例え命令であったとしても、間違っていると思ったら自分を貫く勇気も必要。」などと古代に述べている。また、ユリーシャがヤマトの自動航法室の中核になっていることを真田以外のクルーの中で唯一知っていたが、これに関しても上述の理念から、自身の一存でクルー全員に公表している。

第二次内惑星戦争で勇名を馳せたほか、カ2号作戦(第二次火星沖海戦)において初めてガミラス艦隊を退けることに成功したため、英雄として尊敬を集めている。なお、カ2号作戦の際に一人息子を失っている。その後、メ号作戦(冥王星沖海戦)において第一艦隊を指揮し、ガミラス艦隊と交戦する。艦隊は旗艦キリシマを除き全滅したが、真の目的である陽動には成功した。

宇宙物理学博士号を持っており、本当は外宇宙には軍人としてではなく科学者として訪れたかったと思っている。

数年前から遊星爆弾症候群を患っており、本人以外でその事実を知るのは、ヤマト発進時点では藤堂平九郎・土方竜・佐渡酒造の3人のみである。このため、ヤマト発進前には土方から艦長職の交代を勧められたが、それを振り切ってヤマトへ乗り込んだ。ヤマト発進後しばらくは落ち着いていたが、グリーゼ581での戦闘の頃から病状が悪化し始め、対次元潜航艦戦でついに倒れて緊急手術を受けることになる。手術は成功し、一命を取り留めたものの、遊星爆弾症候群自体は完治せず、時が経つにつれて容態が悪化していき、ガミラス本星決戦後は車椅子の状態となった。

自身の死期を悟っており、自身の魂を若い世代に託したいと思っている。地球をその目で見た後息絶えたが、その後、雪を蘇生させるためにその力を使った古代守に代わりコスモリバースシステムの中核となった[3][4]

コミック版
アニメ版でも度々口にしていた「悪魔め」という言葉が、敵と言う「人」ではなく、その「魔」の部分を憎み、また同じように自分の中にもいる「魔」を抑え抗うためのおまじないのような魔よけの言葉であることを古代に明かしている。
アニメでは身体に特に傷は見られなかったが、コミック版では身体中に歴戦の傷痕が残っている。

脚注

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関連項目

テンプレート:宇宙戦艦ヤマトシリーズの登場人物
  1. これに関連する故事については、ピエール・カンブロンヌおよびアンソニー・マコーリフを参照のこと。
  2. この事に関して、『完結編』のスタッフで『宇宙戦艦ヤマト2199』の総監督を務めた出渕裕が「冒頭に衝突する二つの銀河とあるが、銀河の直径は約10万光年あり、衝突には10万光年かかる。あれは衝突ではなく、他世界解釈で『もう一つの銀河』が重なりあったとし、もう一つの銀河にはヤマトが旅立てなかった赤い地球がある。そしてそこには発進できなかったヤマトが眠っていて、艦長室に沖田艦長がいる。それだったら登場しても可笑しくない」と進言したが採用されなかったと『月刊モデルグラフィックス』2014年3月号のP31で語っている。
  3. 地球への帰路中にコスモリバースシステムの「核」となった古代守と対話したことが夢というカタチで示唆されている。
  4. 沖田が死後、中核となったことは最終話オーディオコメンタリーの中で語られている。