正田英三郎

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正田 英三郎(しょうだ ひでさぶろう、1903年9月21日 - 1999年6月18日)は日本実業家群馬県邑楽郡館林町(現・館林市)出身。

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正田家の人々(1914年・大正3年)
後列右が英三郎。 前列左の弟・順四郎と共に東京高師附属小(現・筑波大附属小)の制服を着ている

日清製粉グループ本社の創業者・正田貞一郎の三男として生まれたが、長兄・明一郎(貞一郎の長男)が早世し、次兄・建次郎(貞一郎の次男)が数学者となったので、英三郎が父の跡を継いだ。皇后美智子の実父である。

製粉業界最大手の日清製粉グループ本社社長会長を歴任したが、長女皇后美智子の皇室内での立場を気遣ってかマスコミへの登場も極力控えるなど、実業家としてはかなり地味な存在であった。

略歴

附属中学の同級生には、美濃部亮吉(元東京都知事)、岸本英夫東京大学名誉教授)、芳賀檀(ドイツ文学者)、諸井三郎(作曲家)などがいる。

家族関係

英三郎の長女が皇后美智子であるのは略歴で明記してあるが、他の子女も良家の子女と結婚している。英三郎の長男・巌は元内閣総理大臣濱口雄幸の孫娘・淑と、次女・恵美子は元昭和電工社長・安西正夫の長男で昭和エンジニアリングの社長を務めた安西孝之と、次男・修は元クラレ社長・大原総一郎の次女・泰子と結婚した。

孫は巌の2男、恵美子の1男1女、修の2女、そして現在の皇后である美智子の2男1女(皇太子徳仁親王秋篠宮文仁親王黒田清子)の計9人、男5人女4人である。

なお英三郎の兄・建次郎も華麗な姻戚関係をもっているが、詳しくは正田建次郎及び平山信(建次郎の先妻・多美の父で天文学者)を参照のこと。

系譜

正田家(群馬県館林市東京都

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六三郎…(略)…文右衛門━┳━文右衛門
             ┃          ┏━明一郎
             ┃          ┣━はる
             ┗━作次郎━━貞一郎 ┃
                     ┃  ┃  多美 ┏━彬
                     ┃  ┃  ┣━━╋━絢子
                     ┣━━╋━建次郎 ┗━さだ子
                     ┃  ┃  ┣━━━━紘
                     ┃  ┃  禎子
                     きぬ ┃
                        ┣━勅子
                        ┣━英三郎
                        ┃  ┣━━┳━巌
                        ┃ 冨美子 ┣━美智子
                        ┃     ┣━恵美子
                        ┣━祐子  ┗━修
                        ┣━順四郎
                        ┃  ┣━━━━紀子
                        ┃  郁子
                        ┃
                        ┣━千鶴子
                        ┣━篤五郎
                        ┃  ┣━━━━晋一郎
                        ┃  公子
                        ┃
                        ┗━和子

なお上記の系図のうち正田建次郎の係累については『昭和人名辞典 第1巻 東京編』504頁、831-832頁を、正田順四郎の係累については同書503頁を出典とする。

脚注


参考文献

外部リンク