栄村忠広

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テンプレート:Infobox baseball player 栄村 忠広(さかえむら ただひろ、1961年9月10日 - )は、元プロ野球選手(外野手)。鹿児島県枕崎市出身。

来歴・人物

鹿児島実業から日本専売公社鹿児島を経て、1983年ドラフト外で読売ジャイアンツに入団。当初右打であったが、俊足を生かすためにスイッチヒッターへの転向を経て左打になった。1987年にイースタン・リーグで盗塁王のタイトルを獲得。1988年にはセンターの守備要員として初めて一軍に昇格。開幕第2戦の8回裏に代走としてプロ初出場を果たすと、プロ初盗塁を記録し、これが東京ドーム公式戦初盗塁となった。

1988年6月14日、対ヤクルトスワローズ戦で、吉村禎章の代走として登場した際、送球を頭部に受けて負傷退場。これを機にセリーグでは走者のヘルメットが義務化される。

1988年7月6日、対中日ドラゴンズ戦(札幌円山球場)で8回表から中堅手の守備に入り、中尾孝義の打球を捕ろうとした左翼手吉村禎章と衝突。吉村は左膝靭帯断裂の重傷を負い、そのまま担架で運ばれ退場し、北海道大学付属病院に搬送された(なお、栄村は無傷でそのまま試合に続けて出場した)[1]

1990年オフ、オリックス・ブルーウェーブに無償トレード。しかし1年で自由契約となり、1992年に台湾に渡ってプレー。その後、現役を引退し帰国。

当時の巨人の主力選手だった吉村と衝突し、吉村に重傷を負わせたため、栄村本人が「ひっそり生活してきたい」との旨を表明し、球界関係者やマスコミとの接触を拒絶していたため、引退後の動向はしばらく不詳であった。

その後、テレビ番組やライター[2]の取材に応じ、テレビ番組では本人のインタビューや草野球に興じる姿が紹介された。その中で、自身がバッシングや吉村の負傷に対する自責の念から苦悩していた頃、その吉村から激励された事も明かした。

漫画家やくみつるは、自身の漫画において、吉村との衝突を契機に栄村を背番号66からダミアンと名付け、執拗に衝突事故をネタとして扱った。

詳細情報

年度別打撃成績

テンプレート:By2 巨人 67 55 42 14 10 0 0 0 10 2 11 4 6 0 7 0 0 7 0 .238 .347 .238 .585
テンプレート:By2 オリックス 7 1 1 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
通算:2年 74 56 43 16 10 0 0 0 10 2 11 4 6 0 7 0 0 8 0 .233 .340 .233 .573

記録

背番号

  • 66 (1983年 - 1991年)

脚注

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関連項目

  • テンプレート:G5000
  • 高山文彦 『運命(アクシデント)』 文藝春秋。同書の中で吉村は怪我をして結果的に人間的に成長出来たので今では後悔していないと話している。なお、吉村の引退に際して、吉村と栄村がそれぞれSports Graphic Numberに登場し、栄村の近況も紹介されていた。