林昌樹

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テンプレート:Infobox baseball player 林 昌樹(はやし まさき、1979年11月28日 - )は、広島東洋カープに所属した元プロ野球選手投手)。

経歴

プロ入り前

テンプレート:節stub 興誠高では、3年夏の県大会で骨折しながら勝ち進むも、決勝で浜松工高に敗れ準優勝。

その後、1997年のドラフト会議広島東洋カープから3位指名を受け、入団。

プロ入り後

長く二軍暮らしが続いたが、3年目のテンプレート:Byサイドスローに転向し[1]テンプレート:Byに一軍で初登板を果たした。テンプレート:Byセ・リーグ初となる1球でプロ初勝利を飾る。

テンプレート:Byは自己最多の61試合に登板し、開幕から10試合以上防御率0点台を保つなど、前半戦はリリーフエースとして重要な役目を果たした。しかし後半戦は疲労からか登板のたびに失点することが多く、防御率は急落。特に大事な場面での被本塁打が目立った。

テンプレート:Byは中継ぎとしてリードしている試合に多く登板するも、終盤は前シーズン同様に度重なる連投から精彩を欠き、打ち込まれることが目立った。

テンプレート:By5月30日に登録抹消となり、二軍で調整していた7月に肋骨骨折による戦線離脱となる。そのままシーズンを終え、17試合の登板に留まった。

テンプレート:Byはオープン戦で結果を残し、開幕から1軍に帯同。中継ぎの一角として前年の17試合を大幅に上回る46試合に登板したが、やや安定感を欠き、防御率は4.28、ホールドも一昨年の3分の1ほどの5に終わり、リリーフエースとして復活したとは言い難いシーズンとなった。

テンプレート:Byはシーズン通して安定感を発揮できず、昨年の半数ほどの26試合の登板に留まり、不本意なシーズンに終わった。

テンプレート:Byは、二軍で42試合に登板し防御率3.31を記録するも、一軍では2試合の登板に終わった。10月13日、球団より戦力外通告を受け、12月2日に自由契約公示された。現役続行を希望しトライアウトを受けたものの、獲得を目指した球団はなく、12月8日に現役引退を発表した。引退後は広島で打撃投手に転身した。

プレースタイル

サイドスローから140km/h台前半の速球と変化量・キレ共に抜群のスライダーで投球を組み立てる。このスライダーは、非常に曲がりが大きく、右打者・左打者問わず大きく外れるボール球でも空振りしてしまうことがある。その他の変化球としてはシュートシンカーパームボールを用いる。

パームボールはサイドスロー転向後に習得したもの。投球の際に腕に負担がかかるため、2005年を最後に使用を止めていたが、2009年のシーズンオフに再度習得に挑戦している[1]

コントロールはかなりアバウトであり、高めに浮いた球を痛打されたり四死球で自滅するケースが多々ある。

ピンチの場面でも、感情を表に出さず淡々と投げ込むタイプ。

人物

興誠高では元日本ハムファイターズ小田智之とは同級生で、俳優の野久保直樹とは2学年後輩にあたる。毎年「対戦したい打者」に同級生だった小田を指名していたが、対戦することはなかった。

詳細情報

年度別投手成績

テンプレート:By2 広島 1 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 15 3.0 3 1 1 0 2 0 0 0 2 2 6.00 1.33
テンプレート:By2 1 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 9 1.2 5 1 0 0 0 2 0 0 3 3 16.20 3.00
テンプレート:By2 13 0 0 0 0 1 0 0 -- 1.000 72 16.0 17 1 5 2 2 10 1 0 10 5 2.81 1.38
テンプレート:By2 47 1 0 0 0 1 1 1 -- .500 211 45.2 51 7 21 3 4 37 0 0 24 21 4.14 1.58
テンプレート:By2 5 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 17 3.2 7 0 1 0 0 2 0 0 3 3 7.36 2.18
テンプレート:By2 61 0 0 0 0 2 4 0 12 .333 273 65.1 59 7 25 6 7 44 1 0 30 26 3.58 1.29
テンプレート:By2 57 0 0 0 0 3 2 0 16 .600 204 48.1 48 4 19 1 2 28 0 0 19 19 3.54 1.39
テンプレート:By2 17 0 0 0 0 0 0 0 3 ---- 76 18.0 20 4 6 1 0 13 0 0 9 9 4.50 1.44
テンプレート:By2 46 0 0 0 0 0 2 0 5 .000 220 48.1 55 5 19 3 4 27 1 0 28 23 4.28 1.53
テンプレート:By2 26 0 0 0 0 0 1 0 1 .000 120 25.2 40 4 7 0 1 19 0 0 17 17 5.96 1.83
テンプレート:By2 2 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 7 2.1 0 0 0 0 0 5 1 0 0 0 0.00 0.00
通算:11年 276 1 0 0 0 7 10 1 37 .412 1224 278.0 305 34 104 16 22 187 4 0 145 128 4.14 1.47

記録

テンプレート:スポーツ選手の出典明記

初記録
  • 初登板:2001年5月15日、対ヤクルトスワローズ8回戦(明治神宮野球場)、6回裏に3番手で救援登板・完了、3回2失点
  • 初奪三振:2002年7月6日、対ヤクルトスワローズ11回戦(広島市民球場)、6回表に浜名千広から空振り三振
  • 初勝利:2003年10月12日、対ヤクルトスワローズ25回戦(広島市民球場)、9回表に2死に5番手で救援登板・完了、1/3回無失点
  • 初先発:2004年7月8日、対阪神タイガース15回戦(広島市民球場)、4回2失点
  • 初セーブ:2004年8月31日、対ヤクルトスワローズ23回戦(明治神宮野球場)、11回裏2死に6番手で救援登板・完了、1/3回無失点
  • 初ホールド:2006年4月22日、対中日ドラゴンズ4回戦(米子市民球場)、8回表無死に3番手で救援登板、1/3回無失点
その他の記録
  • 初登板で対戦した第一打者に被本塁打:上記の「初登板」の項を参照、6回裏無死に稲葉篤紀に中越ソロ ※史上47人目(セ・リーグ20人目)
  • 1球勝利投手:2003年10月12日、対ヤクルトスワローズ25回戦(広島市民球場)、9回表に古田敦也を遊ゴロ ※史上16人目
  • 1球勝利がプロ初勝利:同上 ※史上3人目
  • 1球敗戦投手:2006年6月24日、対横浜ベイスターズ7回戦(広島市民球場)、8回表に村田修一に死球 ※史上18人目
  • 1球勝利・1球敗戦を両方記録 ※史上2人目

背番号

  • 53 (1998年 - 2011年)
  • 111 (2013年 - )

脚注

テンプレート:Reflist

関連項目

外部リンク

テンプレート:広島東洋カープ1997年ドラフト指名選手
  1. 1.0 1.1 広島・林、久々パームで投げ開眼!?イベントに参加 Sponichi Annex (2009年12月7日)