板倉勝喜

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板倉 勝喜(いたくら かつやす、明和2年10月17日1765年11月29日) - 天保13年2月17日1842年3月28日))は、江戸時代中期の大名備中国庭瀬藩の第5代藩主。重宣系板倉家6代。

第3代藩主板倉勝興の四男。子に板倉勝並(長男)、板倉勝豊(次男)、板倉勝氐(三男)、板倉勝資(四男)、板倉勝貞(五男)、娘(阿部正信正室)。は利次郎。官位は従五位下、主水佑。

天明5年(1785年)4月25日、嗣子なく没した兄勝志末期養子となり、家督を継いだ。同年4月28日、将軍徳川家治に拝謁する。同年12月18日、従五位下従五位下主水佑に叙任する。寛政5年(1793年)、陣屋内に清山神社を建て、板倉家中興の祖である板倉重昌重矩の父子を祭祀した。

享和3年(1803年)、家督を三男の勝氐に譲って隠居し、五男の勝貞の藩主時代の天保13年(1842年)に没した。享年78。法名は心月院殿廓天源喜大居士。

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