松浦熈

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松浦 熈(まつら ひろむ、寛政3年4月11日1791年5月13日) - 慶応3年6月27日1867年7月28日))は、肥前国平戸藩の第10代藩主。

第9代藩主・松浦清の三男。母は側室・鎌奥氏。正室は久松松平定信の娘。子に松浦曜(長男)、松浦啓(次男)、松浦秋(三男)、熊沢正観(四男)、松浦欽明(五男)、娘(日野資宗室)、富子(中山忠光室)。官位は従五位下肥前守。幼名は三穂松。

平戸において生まれる。寛政7年(1795年)、江戸に移る。同年、父・清の嫡子となる。長兄・章の廃嫡、次兄・の死去にともなう措置であった。なお、年齢の上積みをはかり、幕府には8歳と届け出た。

享和3年(1803年)6月、将軍徳川家斉御目見する。文化元年(1804年)3月、元服の儀を行う。文化3年(1806年)11月、父清の隠居により家督を相続する。文化5年(1808年)、松平定信の娘と結婚した。天保12年(1841年1月、隠居して長男のに家督を譲った。父・清の意向により平戸で隠居し、曜とその跡を継いだ(三男・秋の子)の後見にあたった。慶応3年(1867年)、77歳で死去した。法号は龍瑞院殿前肥州大守乾乾観中大居士。

関連項目

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