松平清道

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松平 清道(まつだいら きよみち)は、播磨姫路新田藩の藩主。

生涯

寛永11年(1634年)、大和郡山藩主(後に播磨姫路藩の初代藩主)松平忠明の次男として大和郡山で生まれる。

寛永21年(1644年)3月25日に父が江戸藩邸で死去したため、その跡を継いだ兄の忠弘や幕閣らの計らい、さらに父が存命中から嘆願していたこともあって、清道に姫路藩から3万石が分与されて姫路新田藩を立藩した。しかし正保元年(1644年)12月26日に死去した。享年12。

嗣子がいるはずもなく、姫路新田藩は1年足らずで廃藩となった。

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