本田美登里

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:サッカー選手 本田 美登里(ほんだ みどり、1964年11月16日 - )は、静岡県清水市(現・静岡市清水区)出身の女子サッカー指導者。ポジションはディフェンダー2007年に女性として初めて日本サッカー協会公認S級コーチの資格を取得した[1]日本女子サッカーリーグAC長野パルセイロレディース監督[1]

略歴

選手時代

小学3年生になった1975年に入江スポーツ少年団でサッカーを始める。清水市立第八中学校清水市立商業高等学校を経て、国士舘大学体育学部に入学。

大学1年生まで清水第八SCに在籍。全日本女子サッカー選手権大会では第2回~5回(1981年 - 1984年)大会の4連覇に貢献した。1985年に読売サッカークラブ女子ベレーザに移籍。日本女子サッカーリーグ(JLSL:のちのL・リーグ)では第1回から第4回(1989年 - 1992年)までの間に45試合に出場し、うち第2回から4回大会でリーグ3連覇、と全日本女子サッカー選手権大会の第9回~10回(1988年 - 1989年)2連覇に貢献した。

日本女子代表には高校2年生のときに選ばれ、日本女子初の国際試合出場メンバーの一員に。以後10年間で国際Aマッチに43試合出場。第11回アジア競技大会1990年北京)では銀メダル獲得に貢献し、翌1991年の第1回女子世界選手権中国大会)にも出場した。

指導者時代

1991年から1993年に読売ベレーザのプレーイングコーチと読売メニーナのコーチを務めたのち、1994年に日本サッカー協会に就職し、日本女子サッカーリーグ(L・リーグ:当時)事務局委員と協会の女子委員会強化部員を兼任。1999年にU-18日本女子選抜コーチとして第1回adidas Cup参加、2000年にはU-18日本女子選抜監督代行として第2回 Adidas Cup に参加。また日本サッカー協会主催のサッカー教室で全国巡回指導を行った。

2001年から岡山県英田郡美作町(現・美作市)に誕生した岡山湯郷Belleの監督に就任して、宮間あや福元美穂などの有力選手を育成した。2003年にはL・リーグ参入を果たし、2004年にはL・リーグ2部で優勝して翌2005年のL・リーグ1部昇格を経験した。

2005年8月10日からトルコイズミルで行われたユニバーシアード世界大会では女子サッカー代表の監督を務め3位の成績を修めた。

2007年9月13日、女性指導者としては初となる日本サッカー協会公認S級コーチの資格を取得した。

2011年1月、同月31日付で岡山湯郷Belleの監督を退任する旨が発表され[2]、翌2月1日、U-20サッカー日本女子代表コーチに就任した[3]

2013年、なでしこチャレンジリーグに参加しているAC長野パルセイロ・レディース監督に就任。

個人成績

テンプレート:サッカー選手国内成績表 top テンプレート:サッカー選手国内成績表 th |- |1989||rowspan="3"|読売サッカークラブ女子・ベレーザ||5||rowspan="4"|JLSL||10||0|||||||||||| |- |1990||rowspan="3"|6||15||3|||||||||||| |- |1991||6||0|||||||||||| |- |1992||読売日本サッカークラブ女子ベレーザ|||||||||||||||| テンプレート:サッカー選手国内成績表 通算終|||||||||||||| |}

代表歴

日本女子代表

著書

  • 本田美登里、鈴木利宗 『なでしこという生き方―日本女子サッカーを拓いたひとりの女性の物語』セブン&アイ出版、2012年 ISBN 978-4860086022

脚注

テンプレート:Reflist

出典

テンプレート:Reflist

関連項目

外部リンク

テンプレート:1991 FIFA女子ワールドカップ日本代表

テンプレート:岡山湯郷Belle歴代監督
  1. 1.0 1.1 AC長野レディース新監督に本田美登里氏 近く正式発表 信濃毎日新聞 2013.1.5付記事
  2. テンプレート:Cite web
  3. テンプレート:PDFlink日本サッカー協会