日道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

日道(にちどう、弘安6年(1283年) - 暦応4年/興国2年2月10日1341年2月26日))は、日蓮正宗総本山大石寺第4世の法主

略歴

11月11日、頼道・行道・行時・日道の四人連署して新田頼綱遺領の配分を定む。
  • 嘉暦2年(1327年)11月10日、日目、土地(陸前三ノ迫加賀野・伊豆南条)譲状を日道に与う。
陸前加賀野沼畑に法華堂(本道寺)を創す(日量記・加賀野村記)
4月28日、鬼鶴御前駿河蒲原関ケ島の地を日道に寄す。
日目の命により陸奥宮野に妙円寺を創す。
この年に日蓮以来の史伝書として『御伝土代』を著した。『御伝土代』は、日蓮の誕生日を「2月16日」と明示する門下最古の文献。
  • 建武元年(1334年)1月7日、薩摩法印、(仙代問答)により日道に帰す。
1月21日、大石寺において日目の百ケ日忌を修す。
9月27日、新田孫五郎(日道弟)が、陸奥国宣を受ける。
  • 建武3年(1336年)2月、申状を認め国家諌暁を行った。
6月6日、諌暁八幡抄に奥書す。
8月4日、日目の筆写した『法華題目抄』に奥書す。

補足

  • 日目の遷化後に日道と日郷の間には「郷道論争」と呼ばれる根深い確執が生じているが、その真相は大石寺(日道)側が主張する如く、東坊地の相続争いであったのか、或は小泉久遠寺・保田妙本寺側(日郷)が主張する如く日目の跡目に関わるものあったかについてはなお慎重な検討を要する。

新六

テンプレート:日興新六僧 テンプレート:先代次代上人