日恭

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日恭(にっきょう、1869年9月16日 - 1945年6月17日)は、大石寺第62世法主。鈴木姓。太平洋戦争が勃発し、国をあげて神社神道を保護していたため、思想、宗教が弾圧され、宗門の存続も危ぶまれるほど大変な時代であった。終戦間際の1945年6月17日客殿の火災によって遷化(死去)した。

略歴

『神札問題』

  • 大石寺では、その教義の上から、神札謗法と呼び祀ってはならないとされている。しかし、太平洋戦争の時代にあっては軍部により、神札を押し付けられるという事態が発生し、その対応に苦労した。
  • 1941年(昭和16年)12月8日、太平洋戦争勃発。
  • 1943年(昭和18年)、大石寺大書院が、軍部に中部勤労訓練所として徴用され、訓練所の所長らに神札を祀られるという事件が発生した。大石寺側は宗旨に反するからという理由で抗議をしたが、所長は受け付けなかった。
  • 1943年(昭和18年)6月、創価教育学会牧口常三郎会長、戸田城聖理事他数名を登山させ、『御寺でも一応受取っているから学会でもそのように指導するようにせよ』と申し渡したことを「神札問題」と呼ぶ。
  • 1943年(昭和18年)7月、牧口常三郎、戸田城聖他創価教育学会のメンバー、治安維持法違反、不敬罪にあたると逮捕され創価教育学会は壊滅状態に追い込まれた。

弾正会弾圧

関連項目

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