成瀬正住

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:基礎情報 武士

成瀬 正住(なるせ まさずみ)は、尾張藩附家老尾張犬山藩の第8代当主。

文化9年(1812年)9月30日、第7代当主・成瀬正壽の長男として生まれる。文政11年12月に従五位下主殿頭に叙任[1]天保9年(1838年)10月27日、父の死去により家督を継いで当主となる。同年、隼人正に転任。尾張藩主の斉温斉荘慶臧慶勝の四代に仕えた。

安政4年(1857年)9月18日(または9月19日)に死去した。享年46。二男四女があったが男子が早世したため、跡を養子で娘婿の正肥青山忠良の三男)が継いだ。

人物

  • 絵画に才能があり、狩野派の面を描き、花草鳥の絵も巧みであった。
ファイル:NARUSE Masazumi Grave 20140805-01.JPG
成瀬正住の墓(名古屋市千種区の平和公園白林寺墓地)

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

テンプレート:犬山藩主
  1. 小山譽城『徳川御三家付家老の研究』(清文堂出版、2006年) ISBN 4-7924-0617-X