性的指向

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テンプレート:性的指向 性的指向(せいてきしこう)(テンプレート:Lang-en-short)は、いずれの性別恋愛性愛の対象とするかをいう、人間の根本的な性傾向のことを指し、性指向ともいう。無意識に形成されるとされ、大きく「異性愛」、「同性愛」、「両性愛」に分類される。性的指向を持たない場合は「無性愛」となり、これを便宜的に性的指向の中に分類する場合もある。

性別以外の性欲に関係する好みを表す性的嗜好とは別である。 両者の混同が見られる一因に、口語の音が同じことが挙げられる。なお、性的志向という言葉はなく、嗜好か指向を表そうとした際の誤りと思われる。

用語

主な性的指向の定義。

  • 異性愛(いせいあい)とは、自身の性別とは異なる性別の者へ恋愛感情や性的願望を抱くこと。
  • 同性愛(どうせいあい)とは、自身の性別と同じ性別の者へ恋愛感情や性的願望を抱くこと。
  • 両性愛(りょうせいあい)とは、「男女」という2つの性の両方へ恋愛感情や性的願望を抱くこと。男女が恋愛対象のバイが殆どを占めるが、男性とトランスジェンダー(女装男性)、女性と女装男性、女性と男装女性などの組み合わせもある。
  • 多性愛(たせいあい)とは、「男女」のほか、トランスジェンダー(女装男性や男装女性など)、両性具有などを含め、3つ以上の性の者へ恋愛感情や性的願望を抱くこと。
  • 全性愛(ぜんせいあい)とは、「男女」のほか、トランスジェンダー、両性具有などを含め、あらゆる人々に恋愛感情や性的願望を抱くこと。

ゲイライターの伏見憲明は、自身の性的指向は、「マスターベーションをする時に、どの性を想像するかで分かる」と主張している[1]が、厳密にその人の性的快楽や興奮の対象の性別と性的指向の対象となる性別が一致する必要はないと考えられる。[注 1]


近年の研究によれば異性愛者は全世界の人口の約90%以上を占めるとの説がある。マジョリティである異性愛者(ノーマル)以外の性的指向の者は、異性愛中心の一般社会の日常(学校や会社、その他の公共の場所、コミュニティ等)において、いくつかの宗教文化風土、社会的に容認されない場面があったり、そもそも概念として存在すらしないものとなっている実際などから、 自らの性的指向が周囲とは違うということに自ずと気づくことになり、性的アイデンティティーを意識せざるを得ない流れを踏むことが多い。

異性愛も性的指向のひとつであるが、異性愛者は基本的に自らの性的指向と法制度社会制度、一般常識などが一致しており、そうしたなかで男性が女性に、女性が男性に惹かれるというベーシックに流れる性的指向の存在自体について、LGBTのように自己の指向を客観視、俯瞰して悩んだり、特別な意識のし方をし続けなければならない状況はほとんど発生し得ない。

異性愛の概念と一致しない指向は異常であるとか、特別であるといったような思考というのは、マジョリティである異性愛との対比によってはじめて発生し得るのであり、 こうした性的指向に対する社会通念は人が作り出すもので、感情論や「流行り廃り」と同様の変動性をもって容易に変化する可能性を常に孕んでいる。時期や国柄、方針などによってマイノリティー性的少数者)を厳しく弾圧したり、逆に容認してみたりと人工的な要因によって極端に変動することとなる。 しかし、こうした人が作る常識や風潮は性的指向の存在自体に変化や影響を与えない。マジョリティ、マイノリティーに関わらず人智や意志が及ばない範疇において、おおよそ同様の確率で淡々と自然界に発生するのが性的指向である。

※動物にも異性愛以外の性的指向は存在する。(参考:動物の同性愛

性的指向を取り巻く諸状況

日本という国は、既に2008年12月の国連総会で「性的指向と性自認に基づく差別の撤廃と人権保護の促進を求める」旨の声明に同意しており、行政が性的指向を認知し、差別は公式に人権問題であるとして、なくす呼びかけを行っている国である。 しかし、こうした事実が民間レベルへはあまり知られておらず、また、知った場合にも、未知の事実に対する間違ったイメージや憶測の先行、旧世代的な慣習や固定観念の根強さなどから、警戒心や抵抗感が横たわり、日常的に特別視している場面が少なくない。また、性的指向に限ったことではないが、自分の弱点や欠点から周囲の注目を反らして自己を保護するために、「まともではない存在」という概念を作って、そちらへ意識を向けておかなければならない人々によって、その利用価値からマイノリティーへの特別視が意識的に打ち出されて維持されるといった忌々しき実態もある。 このように日本ではメディアでのタレントや著名人などによって同性愛等がオープンになってはいるものの、実生活のなかでは異性愛者にとって異性愛以外の性的指向が概念上マイノリティーであるのが実状である。

しかしながら、実数として2012年の電通総研の調査において、異性愛以外のLGBTは人口の5.2%(20人に1人)にも登るという結果が出ている。この数字は日常にLGBTがごく当然に多数存在していることを示す大変重大なデータである。

米メディアによると、日本のLGBT消費者による年間消費額は6兆円規模に達するともいわれ、ソフトバンクや電通のほか、グーグルIBMドイツ銀行などは、LGBTの関連賞であるTokyo SuperStar Awardsのスポンサーとなっているといった現状もある。こうした中で、果たして実質的にLGBTが未だマイノリティーであるとし続けられるのかは大いに問題である。


海外においては、習慣などから未だ異性愛以外は処罰の対象として弾圧を行っている国もあるが、これらは旧体制の開発途上国ばかりが中心である。 オバマ大統領が2012年に同性結婚の支持を打ち出したこともあり、近年は先進国を中心に行政が性的指向を認知をする動きがある。殊に欧・米では法整備が進められ、異性愛以外はマイノリティーという概念が消滅し、ごくありふれたマジョリティの常識的範疇の一部となっている地域も多く存在している。

性的指向の固定性

性的指向が人の都合や趣味、興味で流動でき、それによって同性愛者と異性愛者の数が増減すると思っている人がいる。各性的指向間の壁は絶対的なものであると言い切ることはできないものの、現状を踏まえたときに、我々は実生活の中で、自分の性的指向(身体的性別ではない)が容易に変更できるものではないことを知っている。 無意識のうちに既形成された性別対象傾向を強引に消し去って意識的に新たな性別対象傾向を築くという作業を成し遂げることは、おおよそ困難であることは想像に難くない。

流動が起こるとすれば、それは希望・意図されたためではなく、また、頻繁には起こらない。 そのため流動性は極めて低いと考えるのが妥当であり、少なくとも高くないことは確かである。頻繁に流動するのは、性的指向自体ではなく、マイノリティーの性的指向に対する認知とその意識的な評価により働く理性抑圧の度合いである。

医学においても国際医学会やWHO(世界保健機関)及び日本精神神経医学会などの専門医の見解によって同性愛が治療という概念に該当しないものとなっており、こうしたことからも性的指向(身体的性別ではない)は変えられない、変えようとするに当たらないものであるというのが実際である。

なお、「機会的同性愛」もあるが、これは根本の性的指向が消えたり変わるものでない。

また、後から同性愛傾向が現れた時に、これを性的指向が変化したと捉えることも可能であるが、これは多くの場合もともと備えていた指向がようやく顕現したのであり、おおよそ流動には当たらない、とされることが多い。

セクシュアル・バリエーション

異性愛や同性愛などの定義は簡単なようで難しく、場面や論者によって様々である。なぜならば、「異性・同性とは何か?」という問題が生じるからである。

精神的にも肉体的にも戸籍上でも同一の性別どうしでの恋愛・性愛的な側面を含む愛情は同性愛であり、精神的にも肉体的にも戸籍上でも異なる性別どうしのそれは異性愛である。

では「精神的にも肉体的にも戸籍上でも」という条件が満たされない場合はどうか。

例えば、身体的には男性である性同一性障害者 (MtF-GID) は、典型的には男性を恋愛対象とするので(女性を恋愛対象とする場合もある)、それは男性同性愛のように見える。しかし、その人の性自認はあくまでも女性であり、その人の主観においては「女性として」男性を恋愛対象としている。現在は、このような性同一性障害者を「異性愛女性」と見なし、男性同性愛に含まない。また男性から女性に性別適合した性同一性障害者が、女性を恋愛対象とするならば、その人はMtFレズビアン又はレズビアンと呼ばれる。同様にして女性の性同一性障害(FtM-GID) で男性が恋愛対象のものはFtMゲイ又はゲイと呼ばれる。

ただし、生物学、特に発生生物学的には、遺伝子的に男性として生まれた性同一性障害者は、その人が男性を恋愛対象とするならば、たとえ心理的に女性であったとしても、男性同性愛となる。しかしWHOや米国精神医学会など世界の趨勢は、性同一性障害については、本人が性別適合を望む方向の性を認知すべきだとする考えが主流であり、このWHO見解は日本政府も受け入れている。

また半陰陽者のように、身体的・あるいは遺伝子的に異常が生じ、医学的に男性に属すとも、あるいは女性に属すとも決定できない人もいる。彼らに対して異性愛/同性愛を定義するためには、性自認か行動様式か、その場合の議論の目的によって何らかの基準を定めて便宜上の定義を与えるほかなく、そもそも「異性愛」「同性愛」というカテゴライズ自体の有意性さえ疑問が生じてくる。

性的指向と性自認は直接の関連性はないが、共に人間の性の問題であり、それらに由来する基本的人権の蹂躙などの問題は、国際人権法に基いて改善が目指されており、国際連合国際機関の諸文書において議論されることが一般的となっている。[2] なおアパルトヘイト廃止後の1996年に採択された南アフリカ共和国憲法は、その第2章第9項の法の下の平等に関して人種、性別、言語、文化、障害、年齢に加え、性的指向による差別禁止を明記した。さらに2000年に採択された欧州連合基本権憲章の第21条第1項は世界人権宣言第2条に記された項目に加えて国民的少数者障害年齢と共に性的指向による差別の禁止を明記している。

脚注

  1. 『プライベート・ゲイ・ライフ―ポスト恋愛論』(学陽書房,伏見憲明)。
  2. BORN FREE AND EQUAL - Sexual orientation and gender identity in international human rights law (国際連合人権高等弁務官事務所、2012年)

注釈

  1. 詳しくは同性愛の「同性愛の定義」の項の「同性に対して性欲を感じる人」およびフェティシズムの「フェティシズムの誤用」の項を参照。

関連項目

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外部リンク

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