幸袋線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
テンプレート:BS-headerテンプレート:BS-datenテンプレート:UKrail-header2テンプレート:BS-tableテンプレート:BS2テンプレート:BS2テンプレート:BS2テンプレート:BS2テンプレート:BS2テンプレート:BS2テンプレート:BS2テンプレート:BS2テンプレート:BS2テンプレート:BS2テンプレート:BS2テンプレート:BS2テンプレート:BS2テンプレート:BS2テンプレート:BS2テンプレート:BS2

|} 幸袋線(こうぶくろせん)は、かつて福岡県鞍手郡小竹町小竹駅飯塚市の二瀬駅の間を結んでいた、日本国有鉄道(国鉄)の鉄道路線赤字83線に指定され1969年廃止された。

路線データ(最終時)

  • 路線距離(営業キロ):
    • 小竹 - 二瀬 7.6 km
    • 幸袋 - 伊岐須 2.5 km(貨物支線。幸袋 - 川津信号場1.6 kmは本線と重複)
  • 軌間:1067 mm
  • 駅数:5駅(起点駅含む。他に貨物駅1。信号場1)
  • 複線区間:なし(全線単線
  • 電化区間:なし(全線非電化
  • 閉塞方式:スタフ閉塞式(全線1閉塞)

運行形態

廃止直前時の時刻表による。廃止時は線内運行のみだったが、以前は直方方面への筑豊本線直通列車も設定されていた。

  • 上り - 朝2本、夕2本
  • 下り - 朝1本、夕1本、夜1本

歴史

  • 1894年(明治27年)12月28日 筑豊鉄道が小竹 - 幸袋間および幸袋 - 幸袋炭坑間の貨物支線を開業、幸袋・(貨)幸袋炭坑の各駅を開業
  • 1897年(明治30年)10月1日 筑豊鉄道が九州鉄道に合併
  • 1899年(明治32年)12月26日 幸袋 - 潤野間・伊岐須分岐点 - 伊岐須間の貨物支線を開業、(貨)潤野・(貨)伊岐須の各駅を開業
  • 1901年(明治34年)3月31日 幸袋 - 幸袋炭坑間の貨物支線を廃止、(貨)幸袋炭坑駅を廃止
  • 1903年(明治36年)11月28日 目尾分岐点 - 目尾間の貨物支線を開業、(貨)目尾駅を新設
  • 1907年(明治40年)7月1日 鉄道国有法により九州鉄道を買収、官設鉄道となる
  • 1908年(明治41年)3月28日 幸袋 - 潤野間の貨物支線を延伸開業、(貨)潤野駅を新設
  • 1909年(明治42年)
    • 1月1日 高雄分岐点 - 高雄間・潤野 - 枝国間の各貨物支線を開業、庄司・高雄・枝国の各貨物駅を開業
    • 10月12日 国有鉄道線路名称制定により小竹 - 幸袋間・貨物支線(目尾分岐点 - 目尾間、高雄分岐点 - 高雄間、潤野 - 枝国間)を幸袋線とする
  • 1912年(明治45年)7月21日 蒸気動車運行開始(小竹-二瀬間)[1]
  • 1913年(大正2年)11月25日 幸袋 - 二瀬間の旅客営業を開始、(貨)潤野駅を二瀬駅に改称、伊岐須分岐点を川津聯絡所に改める
  • 1920年(大正9年)4月11日 目尾分岐点 - 目尾間の貨物支線を廃止し目尾駅構内に併合、目尾駅を本線上に移設し旅客営業開始
  • 1922年(大正11年)4月1日 川津聯絡所を信号場に改める
  • 1930年(昭和5年)4月1日 川津信号場 - 伊岐須間の貨物支線起点を変更し幸袋 - 伊岐須間とする
  • 1945年(昭和20年)6月10日 高雄分岐点 - 高雄間の貨物支線を廃止し幸袋駅構内に併合、庄司・高雄の各貨物駅を廃止
  • 1959年(昭和34年)12月1日 新二瀬駅を新設[2]
  • 1965年(昭和40年)10月1日 二瀬 - 枝国間の貨物支線を廃止、(貨)枝国駅を廃止[3]
  • 1968年(昭和43年)8月 赤字83線に選定
  • 1969年(昭和44年)12月8日 小竹 - 二瀬間・貨物支線(幸袋 - 伊岐須間)を廃止[4]

駅一覧

全駅福岡県に所在。接続路線の事業者名、所在地は幸袋線廃止時点のもの。

駅名 駅間キロ 営業キロ 接続路線 所在地
小竹駅 - 0.0 日本国有鉄道筑豊本線 鞍手郡小竹町
目尾駅 2.2 2.2   飯塚市
幸袋駅 2.7 4.9  
川津信号場 - 6.5  
新二瀬駅 2.0 6.9  
二瀬駅 0.7 7.6  
貨物支線

廃止までの経緯

1968年9月4日の国鉄諮問委員会から提出された意見書により赤字83線に指定された幸袋線は、飯塚市中心部ではなく小竹・直方方面へ路線が延びていたため、地域交通の流動の主要ルートからも外れており、1967年度の収支係数は740、つまり100円の収入を得るのに740円かかるという大幅な赤字路線であった。だが、周辺の炭鉱の閉山が相次いだとはいえ、毎日110トン(貨車7両分)の貨物輸送と143人の通勤通学客の利用があった。

しかし、終点の二瀬駅からは嘉穂郡穂波町(現・飯塚市)の日鉄二瀬炭鉱まで貨物線が延びており、ほぼ線路が飯塚市を分断していることから市の発展を妨げているとされ、飯塚市でも廃止の方向が強まった。そこで国鉄門司鉄道管理局と飯塚市役所の担当者が、貨物輸送に利用している会社や通勤通学者の家を1軒1軒訪問し、廃止の同意を取り付けた。沿線の二瀬・幸袋地区でも廃止のうえ道路を整備してほしいとの声があがっており、反対運動は起こらなかったようである。その後1969年3月18日に飯塚市議会が幸袋線廃止の意見書を採択、同年12月7日さよなら列車の運行をもって廃止された。幸袋線は赤字83線の中で最初に廃止された線路となり、この廃止までの動きはその他の線路廃止の取り組みのモデルともなった。

廃線跡の現状

小竹駅から約2kmほどの区間は筑豊本線と並行していたが、その並行区間から目尾駅跡までは現在でも一部を除き線路が残っている。それ以外の区間はほぼ完全に道路化されている。幸袋駅跡は飯塚市が使用する資材倉庫、新二瀬駅跡と二瀬駅跡はガソリンスタンドになっている。いずれも駅跡を示すようなものはないが、二瀬駅跡にはわずかながらホームが残っている。

現在の交通機関

2014年3月現在、西鉄バス筑豊が運行している路線バス(系統番号1)が小竹 - 幸袋間で線路跡の市道などを通っている。幸袋 - 二瀬間は、飯塚市コミュニティバス頴田・飯塚線が幸袋公民館、二瀬公民館の各バス停を経由し連絡している。

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

関連項目

テンプレート:赤字83線
  1. 『鉄道省年報. 昭和9年度』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
  2. 1959年(昭和34年)11月27日日本国有鉄道公示第438号「幸袋線幸袋・二瀬間に新二瀬停車場を設置して旅客の取扱を開始する件」
  3. 1965年(昭和40年)9月29日日本国有鉄道公示第570号「貨物運輸営業を廃止」
  4. 1969年(昭和44年)12月6日日本国有鉄道公示第376号「運輸営業の廃止の件」