平田洋

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テンプレート:Infobox baseball player 平田 洋(ひらた ひろし、1975年11月25日 - )は、愛知県豊田市出身の元プロ野球選手投手)。

来歴・人物

豊田大谷高から1993年ドラフト1位で中日に入団したが、実は中日だけではなくオリックスもドラフト1位で指名する方針を固めていたため、当初は中日とオリックスの競合になると予想されていた。だが平田は中日入りを熱望。オリックスへの入団を拒否する構えを見せたため、結局オリックスは平田の獲得を諦め、平井正史を1位指名する方針に変えたというエピソードがある。

契約金は1億円で、当時の高校生としては中日球団の史上最高額だった。当初から高い潜在能力を評価され、150km/hの速球を武器に期待されていた。

ルーキーイヤーの1994年、2軍では1年間先発ローテーションを守り通すなど活躍。だが、ナゴヤ球場でのヤクルト戦でプロ初登板した際、4失点。1/3回を投げるに留まった。その試合でバッテリーを組んだ中村武志は、「38球のうち良かったのは1球だけだった」と語っている。その後も度重なる故障で伸び悩み、1998年には背番号11を同い年で大卒新人の川上憲伸に明け渡し、代わりに与えられた背番号17もシーズン途中入団の新外国人サムソン・リーが強く希望したため剥奪され、背番号60に降格となったあげく同年限りで戦力外通告を受ける。

その後近鉄の入団テストを受け合格するも1軍昇格はならず、わずか1年で戦力外通告を受け、引退した。

現役引退後は地元の企業に就職し、軟式野球部でプレーしている。

詳細情報

年度別投手成績

テンプレート:By2 中日 1 1 0 0 0 0 0 0 -- ---- 7 0.1 2 1 3 0 0 0 0 4 4 108.00 15.00
テンプレート:By2 1 1 0 0 0 0 1 0 -- .000 19 3.0 8 2 2 0 4 0 0 8 8 24.00 3.33
通算:2年 2 2 0 0 0 0 1 0 -- .000 26 3.1 10 3 5 0 4 0 0 12 12 32.40 4.50

背番号

  • 11 (1994年 - 1997年)
  • 17 (1998年)
  • 60 (1998年)
  • 62 (1999年)

関連項目

テンプレート:中日ドラゴンズ1993年ドラフト指名選手