川下組

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川下組(かわしたぐみ)は、平成19年(2007年)2月5日まで活動していた日本暴力団大阪府東大阪市に本拠を置いていた。指定暴力団・六代目山口組の2次団体であった。


略歴

平成元年(1989年)4月20日、山口組緊急幹部会が開かれ、山口組五代目の人選が議論された。竹中組竹中武組長は、態度を保留した。山口組若頭渡辺芳則と山口組組長代行・中西一男が話し合い、中西一男が五代目山口組組長立候補を取り下げた。渡辺芳則の山口組五代目擁立が決まった。

同年4月27日、山口組直系組長会で、中西一男が、五代目山口組組長立候補取り下げの経緯を説明した。渡辺芳則の五代目山口組組長就任が決定した。

同年5月18日、山口組本家で、舎弟24人、若衆45人と盃直しを行なった。川下組・川下弘組長、尾崎彰春の実子・尾崎勝彦ら4人が新たに直参になった。

平成19年(2007年)2月5日、山口組定例会で、川下弘の引退が発表された。川下組は解散し、跡目継承は行われなかった。川下組組員は、他の山口組系組織に吸収された。

最高幹部

参考文献

  • 溝口敦『山口組ドキュメント 五代目山口組』三一書房、1990年、ISBN 4-380-90223-4
  • 『六代目山口組 完全データBOOK』メディアックス、2008年、ISBN 978-4-86201-328-6のP.25