尚泰久王

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テンプレート:単一の出典 テンプレート:基礎情報 君主 尚 泰久王(しょう たいきゅうおう、1415年 - 1460年)は琉球王国第一尚氏王統・第六代国王。在位1453年 - 1460年。神号は那之志与茂伊(なのしよもい)、または大世主(おほよのぬし)。第一尚氏王統第五代・尚金福王の弟である。

概要

尚巴志の五男で、越来間切を与えられて越来王子と称する。この時に金丸(後の尚円王)を見出して取り立て、尚思達王に王府官僚として推薦している。尚金福王が死去した後の後継争いである志魯・布里の乱で、双方が共倒れになったことから、金丸らに推され琉球国王として即位した。

永楽通宝を変造し、大世通宝(たいせつうほう)という銅銭を作成。また、1458年ごろには万国津梁の鐘鋳造した。

護佐丸阿麻和利の乱を鎮圧した。

系譜

  • 父:尚巴志
  • 母:美里伊波按司の娘
  • 妃:護佐丸の娘
  • 側室:宮里阿護母志良礼
  • 側室:越来村の世利休
    • 長男:安次富金橋(母は護佐丸の娘。後裔は安次富家)
    • 次男:美津波多武喜(母は護佐丸の娘。後裔は仲栄真家)
    • 三男:尚徳(母は宮里阿護母志良礼)
    • 四男:八幡加那志(後裔は習氏)[1]
    • 五男:尚武江洲按司(後裔は武氏嘉陽家)[2]
    • 長女: 踏揚阿麻和利の妻、後に鬼大城に嫁す)
    • 次女 :尚按司加那志(林鳳に嫁し、後に泊里主宗重に嫁す)

参考文献

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関連項目

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  1. 士族門中家譜、球陽出版
  2. 士族門中家譜、球陽出版