少帝弘

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テンプレート:基礎情報 中国君主 少帝弘(しょうてい こう)は前漢の第4代皇帝(歴代皇帝に含まないこともある)。諱はであるが、元来は(常山王に昇格したときに「義」と改名)。少帝弘と彼の兄弟は、実は呂雉が密かに宮内に連れ込んだ者達で恵帝の実子ではない、ともいわれるが真相は不明。

生涯

恵帝(劉盈)と後宮の美人との間に生まれた。初めは襄城侯に封じられた。兄の常山王劉不疑が亡くなると、代わって常山王に封じられた。後に兄の少帝恭呂雉に殺害されたことにより皇帝に即位した。

前180年に呂雉が死去、皇族や元勲の陳平周勃灌嬰などにより呂氏一族が誅滅されると、少帝弘は兄弟と共に監禁された。叔父の代王劉恒が即位するが、即位直前に少帝弘は汝陰侯夏侯嬰により宮内より追放され、少府に監禁された。劉弘は文帝が長安に入ると、弟の常山王劉朝(軹侯)、淮陽劉武(壷関侯)らとともに毒殺された。

テンプレート:前漢の皇帝