安全自動車

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安全自動車(あんぜんじどうしゃ)は、東京都港区に本社を置く、自動車整備部品製造販売を主な業務とする株式会社である。代表取締役は中谷宗平。

創業から1983年昭和58年)までは、クライスラー系のダッジインペリアル、ドイツのNSU各車の輸入総代理店として知られた。第二次世界大戦直前にはダッジをベースにした国産乗用車・日光号を製造したり、戦後の外車輸入制限時代には子会社「安全トヨペット」でトヨタ乗用車を販売した。バスボディなど自動車車体製造も手がけていた。現在は、主な事業を自動車整備機器の製造に移行している。

1918年大正7年)5月、初代会長中谷保がアメリカより帰国し、輸入自動車販売および自動車関連産業を事業目的として東京市赤坂区溜池町(現在の港区)に創立。同時に、ライジングサン石油会社(現在の昭和シェル石油)と特約を結び、日本初となるガソリンスタンドを設立、石油販売の先鞭をつけた。一方、東京代々木に工場を建設し、消防自動車制作、整備用機器、自動車部品の製作を開始。1927年昭和2年)3月には米国ダッジブラザーズ会社(現在のクライスラー社)と代理店契約を結び、日本総代理店として国内各地に販売拠点を設けた。1934年昭和9年)には東京芝浦に貨物および乗合自動車の車体製作工場を建設、1938年昭和13年)にはクライスラー系の輸入元であった八洲自動車、京都工商と共に共立自動車製作所を設立し国産乗用車「日光号」を製作販売したが、戦時体制強化によりこの計画はまもなく頓挫する。1945年には戦災により本社、営業所、工場等を焼失したが、1949年昭和24年)にクライスラー社との代理店契約を復活させ、輸入自動車販売を再開した。また、1967年昭和42年)から1970年頃まではドイツ・NSU社の日本総代理店となり、同社製世界初のロータリーエンジン搭載市販車であるヴァンケルスパイダーや先進的な4ドア車Ro80などを少数だが正規輸入した。

1972年昭和47年)4月に東京都港区元赤坂に安全ビルディング(地下1階、地上11階)を、1974年昭和49年)1月には隣に第二安全ビルディング(地下1階、地上13階)を竣工させ、本社機能を移転。1993年平成5年)3月には本社を港区芝浦に再度移転。現在は自動車輸入販売からは撤退し、車検機器システム(「ラインマスター」ブランド)・足廻り整備機器(「バトラー」ブランド)・自動車整備用機械工具・車体整備機械工具・コンピュータ自動車整備管理システム・環境整備機器・各種洗浄システム・特殊機器設計製作販売及び不動産賃貸業を行っている。

関連項目

参考文献