宇喜多興家

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宇喜多 興家(うきた おきいえ)は備前国国人浦上氏家臣。砥石城宇喜多能家の嫡男。弟に四郎、子に宇喜多直家忠家春家[1]。室に宇喜多直家の生母、阿部善定娘(忠家、春家の母)。

生涯

大永4年(1524年)、能家より家督を譲られる。

1534年天文3年)に父・能家が島村盛実により砥石城を攻められ自害した際、子の直家を連れ備後国鞆津まで落ち延びる。

後に備前福岡の豪商阿部善定に庇護されると、善定の娘を娶り、忠家、春家の男児2人[1]に恵まれたが、1536年に病死。没年は1540年とする説もある。

墓所は岡山県瀬戸内市長船町の妙興寺。

既に家督をゆずられ家長となっていたにも関わらず、抵抗もせず城を明け渡し逃亡したことを受け、興家は暗愚であったと後世評されるが、宇喜多氏の家名、幼い直家を守るためにあえて暗愚を装っていたという説もある。

脚注

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参考文献

  • 渡邊大門『戦国期浦上氏・宇喜多氏と地域権力』岩田書院、2011年。
  • 渡邊大門『宇喜多直家・秀家』ミネルヴァ書房、2011年。
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