宇喜多興家
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宇喜多 興家(うきた おきいえ)は備前国の国人で浦上氏家臣。砥石城主宇喜多能家の嫡男。弟に四郎、子に宇喜多直家、忠家、春家[1]。室に宇喜多直家の生母、阿部善定娘(忠家、春家の母)。
生涯
1534年(天文3年)に父・能家が島村盛実により砥石城を攻められ自害した際、子の直家を連れ備後国鞆津まで落ち延びる。
後に備前福岡の豪商阿部善定に庇護されると、善定の娘を娶り、忠家、春家の男児2人[1]に恵まれたが、1536年に病死。没年は1540年とする説もある。
既に家督をゆずられ家長となっていたにも関わらず、抵抗もせず城を明け渡し逃亡したことを受け、興家は暗愚であったと後世評されるが、宇喜多氏の家名、幼い直家を守るためにあえて暗愚を装っていたという説もある。
脚注
参考文献
- 渡邊大門『戦国期浦上氏・宇喜多氏と地域権力』岩田書院、2011年。
- 渡邊大門『宇喜多直家・秀家』ミネルヴァ書房、2011年。