史思明

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テンプレート:基礎情報 中国君主 史 思明(し しめい)は、代の軍人の第3代皇帝

生涯

突厥出身で、安禄山と同郷だったため親しい仲にあった。また、自身も6か国語に通じた教養に通じる人物であったため、次第に頭角を現していく。幽州節度使の部下であったときに戦功を挙げ、天宝11載(752年)には安禄山の配下となった。

至徳元載(756年)に安禄山が反乱を起こすと、河北で軍を率いて戦い、李光弼顔真卿率いる唐軍と戦った。しかし、聖武2年(757年)に安禄山が息子の安慶緒に殺されると安禄山の跡を継いで燕王を称し、天成3年(759年)には安慶緒を殺害し、さらには長安に迫る勢いを見せたが、順天3年(761年)、養子を後継ぎにしようとしたために長男の史朝義によって殺された。

テンプレート:燕の皇帝