八千代台団地

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住宅団地発祥の碑

八千代台団地(やちよだいだんち)は、千葉県八千代市にある日本初の大規模住宅団地。最寄り駅は京成本線八千代台駅で、同駅の西口ロータリー・2番バス乗り場前に「住宅団地発祥の地」の記念碑がある。

2つの「八千代台団地」

「八千代台団地」の名称は、下記の2種類の造成物(あるいは地域)を指し、誤解や混同を生む原因になっている。

協会八千代台団地

千葉県住宅協会(1965年11月に「千葉県住宅供給公社」に改組)[1]による八千代台団地。八千代台西・北地区に200 - 330平方メートル(60 - 100)程度の土地プラス33 - 60平方メートル(10 - 18坪)の木造平屋一戸建(一部土地のみの分譲もあり)を分譲、計画戸数 1,114。1955年10月第1期の分譲を開始し、翌1956年5月入居開始。1957年10月に完成[2]。すでに50年以上が経過し、その間に建物の建替え、土地の分筆合筆が繰り返され、誕生当時のまま現存する家屋もごくわずかしか残っていないため、団地誕生時の面影はほとんど見られない。

また、分譲開始後数年以内に行われた、京成電鉄をはじめとする民間デベロッパーによる隣接地域の宅地開発により、もともとの「協会八千代台団地」の範囲・線引きも曖昧なものとなっている。

公団八千代台団地

日本住宅公団2004年に「都市再生機構」に改組)による八千代台団地。八千代台西六丁目にある鉄筋コンクリート造り2階建てテラスハウスタイプおよそ30棟2百数十戸。賃貸と分譲の2本立てで、1957年に入居開始。日本住宅公団による団地としては初期のものではあるが「第1号」ではない。

「住宅団地発祥の地」記念碑

京成電鉄八千代台駅西口ロータリーに「住宅団地発祥の地」と題する記念碑がある(1970年。千葉県住宅協会建立)。碑文には「(以上略)昭和30年3月(以下略)千葉県住宅協会の手でこの地に全国初の住宅団地が誕生した(以下略)」とあり、住宅団地発祥は協会八千代台団地であると主張している。土地付一戸建の販売形態も「団地」の範疇に含まれるとして、造成や販売の開始時期を考慮すれば協会八千代台団地の方が先に誕生したと言える。

団地発祥

記念碑に謳われた協会八千代台団地は、後年一般に形成されていった「団地」という観念からは程遠い姿となっており、現住居者の多くに八千代台団地という団地に住んでいるといった意識はない。代わりに公団八千代台団地の残存建屋が、その風情からして「住宅団地発祥」をイメージさせる存在となっているため、訪れた人や、現住人の中にもそう信じている人が少なくない。

近年の老朽化(公団八千代台団地)

近年、老朽化により撤去・建て替えが行われており、旧1・2・19・20・21・22棟を取り壊し8階建てと2階建ての団地が完成。周辺の道路を整備し歩道を新設。周辺道路に千葉県道262号幕張八千代線が走っているため、交通量が多く危険だったが近くの八千代台西小・中学校の生徒の登下校が安全な物となった。3・4・5・16・17・18・23・24・25があった土地は民間(藤和不動産)に売られ、マンションが建設された。

参考文献

  • 八千代市郷土歴史研究会 『史談八千代』28号 2003年11月 ISSN 1345-9694

脚注

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関連項目

  • 千葉県住宅供給公社ホームページ
  • 八千代台自治会『八千代台自治会創立50周年記念誌』、2007年、29頁