佐藤食品工業 (新潟県)

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佐藤食品工業株式会社(さとうしょくひんこうぎょう、テンプレート:Lang-en-short)は、新潟県新潟市東区に本社を置き、主に餅、米飯、白玉など米穀を原料とした食品を製造する企業。通称サトウ食品

概要

主に切り餅、鏡餅などの包装、無菌包装米飯の製造を行っている。

創業当時は白玉粉を製造する会社として設立されたが、1960年代に真空パックの餅を発売した。

1973年に「サトウの切り餅」を発売。これはレトルト殺菌釜、ロータリー真空機、三連包装機、耐熱性資材という多数の革新的な機械を導入して開発された製品で、1年間長期保存を可能にパックした「サトウの切り餅」の販売で、包装もちを年間商品として市場に定着させることで、マーケットの拡大に伴い業界でのシェアを大幅に伸ばし、包装もち業界では売上トップ企業となる。1983年(昭和58年)には業界で初めて、生の餅を一個一個無菌的に包装した製品「サトウの切り餅 つきたてシングルパック」を発売、3年後には同社の売上No.1となった。2002年(平成14年)には餅を「ふっくらうまく焼きたい」という消費者のニーズを吸い上げて、料理に使うの時にも便利なようにひとつひとつの餅に上下と左右に切れ目を入れることで調理性にも優れた製品が発売された。

1988年(昭和63年)にはレンジアップタイプの無菌包装米飯「サトウのごはん」の販売を開始した。それまでのレトルト米飯は炊飯後に真空パックし、高圧を掛けて加熱殺菌するタイプの物がほとんどで、製造後1年間程度まで長期保存できる利点があったが、水分が多くてまとわり付きやすく、米飯本来の食感を維持できないという品質上の難点があり、専ら携帯食としての需要がメインであった。佐藤食品は餅の無菌包装工程のノウハウを活用して米飯の製造ラインを無菌状態にし、炊いた米飯を瞬間冷却してパック詰めする「無菌包装工法」を全国で初めて確立。釜炊きの米飯に匹敵する風味と食感を製造後6箇月間程度まで保持することに成功した。発売開始当初、テレビコマーシャルで連呼された「玄関開けたら、2分でごはん」のキャッチフレーズが話題を呼び、電子レンジで簡単に1膳分のご飯を暖めることができる手軽さなどから、同業他社も追随して類似製品の製造に進出した。

「サトウのごはん」がヒット商品に成長した背景には後日談がある。発売当初は「若者の一人暮らし世帯」をターゲットとしてコンビニエンスストアを中心に販路開拓を進めたものの、元々コンビニではおかずの添えられた弁当やインスタント食品の需要が高く商品群も充実しているため、売上げが思うように伸びなかった。ところがその後、兵庫県芦屋市六麓荘町周辺にあるスーパーマーケットで好調な売上げを記録していることが判明。同町周辺は高齢化が進行し、独居や夫婦二人暮らしの世帯が数多く「ご飯を余分に炊かなくて済む」「来客時など、ご飯が足りない際にすぐ暖められる」といった理由から重宝がられたのが大きな理由であった。こうしたことからスーパーや量販店での販路を強化したところ、売上げは飛躍的に上昇した。

一方、1975年(昭和50年)から清水商事(清水フードセンター)と提携しスーパーマーケット事業に進出、新潟市藤見町(現東区)に1号店「フジミショッピングセンター」を開店した。1998年(平成10年)には事業拡大のため子会社「株式会社パワーズフジミ」を設立し、店舗ブランドも改称。新潟市周辺など下越地方を中心に店舗を展開してきた。一般型店舗「パワーズフジミ」と、新潟交通から事業を引き継いだ高級食材主体の店舗「パワーズフジミorigin・セサミ」の2業態で計15店舗を出店し、ピークの2004年(平成16年)4月期には195億7300万円を売り上げたが、その後は県内の同業各社に加え、イオンユニーなど県内へ進出した大手各社との販売競争激化が進むなどした影響もあり、2007年(平成19年)4月期の売上高は172億1300万円に減少。県内のスーパー・食品小売業の中では7位という数字でこそあったものの、8億円の債務超過に陥っていた。こうしたことから佐藤食品本社は競争激化により、今後の業績回復は難しいとして小売事業から撤退し、本業の食品加工に注力することを決定。事業譲渡先を模索した結果、仙台市のスーパー「モリヤ」が既存店舗の存続と従業員約230人の継続雇用を示したことから、佐藤食品は2007年(平成19年)12月22日付で全株式をモリヤに無償譲渡した。

東京証券取引所2部に株式を上場しているが、愛知県佐藤食品工業JASDAQ上場)と全く同一の社名であることから、上場名は「サトウ食品工業」となっている。

沿革

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  • 1950年(昭和25年)4月 - 佐藤勘作商店として発足
  • 1961年(昭和36年)4月 - 本社・工場を現在地に移転、有限会社佐藤食品工業所に改組
  • 1966年(昭和41年)10月 - 株式会社佐藤食品工業所に改組
  • 1975年(昭和50年)
  • 5月 - 株式会社こぶし食品工業を吸収合併
  • 6月 - スーパー部門を設立。同年、新潟市藤見町にフジミショッピングセンターを開店
  • 1980年(昭和55年)4月 - 佐藤食品工業株式会社(現社名)に改称
  • 1984年(昭和59年) - 2代目社長として佐藤功が就任。
  • 1998年(平成10年)2月 - スーパー部門を分離独立、株式会社パワーズフジミ設立(100%子会社)
  • 2001年(平成13年)4月 - 東京証券取引所第2部に上場
  • 2005年(平成17年)11月 - 新潟交通傘下の「新光ストアー」運営によるスーパー「セサミ」の事業を継承、「セサミ事業部」を開設
  • 2008年(平成20年)1月 - 食品加工に特化すべく小売事業から撤退、パワーズフジミの全株式を宮城県のスーパー「モリヤ」に譲渡
  • 2010年(平成22年)5月10日 - 取締役会で社長の佐藤功を取締役会長に、その長男である常務営業本部長の佐藤元を社長に昇格する人事を決め、同年7月21日に開催予定の株主総会後の取締役会で正式決定する。

主な製品

CM出演者

切り餅の特許権侵害を巡る訴訟

主力商品である「サトウの切り餅」の切り込みをめぐり、ライバル企業である越後製菓[1]特許権を侵害しているとして、サトウを相手取り製造の差し止めと59億4000万円の損害賠償を求める民事訴訟を起こした。2012年(平成24年)3月22日知的財産高等裁判所で開かれた控訴審判決において、越後製菓側の請求を棄却した東京地方裁判所の一審判決を取り消し、サトウに対し製造の差し止めと製造装置の破棄および約8億円の損害賠償などを命じる判決を下した[2]。裁判の中で、サトウは越後製菓よりも先発品の切り餅が存在するとの証拠を提出しようとしたが、知財高裁はそれを証拠捏造が疑われ不自然だとして採用しなかった[3]

それに対し、サトウはこの判決を不服として、2012年4月2日、最高裁判所に上告及び上告受理の申立てをおこなったと発表した[4]。また2012年5月29日には、越後製菓から、前述の訴訟において請求の対象とはされていなかった製品および期間に関して、新たに損害賠償を求める裁判を東京地裁に2012年4月27日付けで提訴され、約19億円の損害賠償を求められていると発表した[5]。サトウの上告に対して最高裁判所は9月19日にこれを棄却する決定を下し、サトウ側の敗訴が確定した[6]

脚注・出典

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関連項目

外部リンク

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  1. サトウ食品と同じく新潟県の企業である。本社は長岡市
  2. テンプレート:Cite news
  3. テンプレート:Cite web
  4. テンプレート:Cite press release
  5. テンプレート:Cite press release
  6. テンプレート:Citenews