伊奈忠政

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テンプレート:基礎情報 武士 伊奈 忠政(いな ただまさ)は、江戸時代初期の代官頭。武蔵小室藩第2代藩主。関東郡代伊奈忠次の嫡男。

生涯

父忠次に従って徳川家康の下で奉行職についていた。関ヶ原の戦いやその前哨戦である会津征伐などに従軍、主に小荷駄奉行などの後方支援などに従事したようである。家康が江戸に入ると父と共に検地や新田開発、河川改修にたずさわり、慶長15年(1610年)に父忠次が没すると、遺領を相続し関東郡代(正しくは関東代官)職を継いだ。

その後も大坂の陣に従軍し冬の陣では外堀を埋め立てる際に普請奉行を務め、長柄川を堰き止める作業などに才を発揮、また夏の陣では首級を実に30挙げるなど活躍し、名実共に父忠次の後続者と目されていた。

しかし、そのわずか3年後に34歳の若さで没した。家督は幼少の嫡男忠勝が、関東郡代職は弟の忠治がそれぞれ継いだ。

「日本一小さな東照宮」として有名な千葉県船橋市船橋東照宮は、家康の命を受けた忠政が建立したものと伝わる。


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