伊一七六型潜水艦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
伊176型潜水艦(海大7型)
ファイル:I-176.jpg
艦級概観
艦種 一等潜水艦
艦名
前級 伊一七四型潜水艦(海大6型b)
次級 -
性能諸元
排水量 基準:1,630トン 常備:1,833トン
水中:2,602トン
全長 105.50m
全幅 8.25m
吃水 4.60m
機関 艦本式1号乙8型ディーゼル2基2軸
水上:8,000馬力
水中:1,800馬力
速力 水上:23.1kt
水中:8.0kt
航続距離 水上:16ktで8,000海里
水中:5ktで50海里
燃料 重油:354.7t
乗員 86名
兵装 45口径十一年式12cm単装砲1門
25mm機銃連装1基2挺
53cm魚雷発射管 艦首6門
九五式魚雷12本
九三式水中聴音機
(九三式探信儀)[1]
備考 安全潜航深度:80m

伊一七六型潜水艦(いひゃくななじゅうろくがたせんすいかん)は、大日本帝国海軍潜水艦の艦級。海大VII型(かいだいなながた)、または新海大型とも呼ばれ、海大型潜水艦の最後の艦級である。同型艦10隻。事故沈没1隻、戦没9隻。

概要

本艦級の潜水艦は1939年(昭和14年)度のマル4計画で10隻が建造され、1942年(昭和17年)から1943年(昭和18年)にかけて竣工した。計画番号S41海大VI型とほぼ同寸法である。設計に当たっては運動性能と潜航時間の短縮に留意が払われたといわれる。魚雷発射管は艦尾発射管が廃止され、艦首にすべて集められた。発射管の数は6本で変わらない。また魚雷は九五式魚雷(酸素魚雷)を搭載したが搭載数は12本に減少した。機銃は25mm連装機銃1基を装備している。

戦歴

太平洋戦争中、主にソロモンニューギニアサイパン方面に進出し、通商破壊(商船及びタンカー6隻撃沈)や輸送任務に従事したが1隻が事故で失われ、残りも総て戦没した。

同型艦

1942年(昭和17年)8月4日竣工(呉海軍工廠)。1944年(昭和19年)5月16日 ブカ島南東で米駆逐艦の攻撃を受け沈没。
1942年(昭和17年)12月28日竣工(神戸川崎)。1944年(昭和19年)10月3日 パラオ付近で米護衛駆逐艦の攻撃を受け沈没。
1942年(昭和17年)12月26日竣工(三菱神戸)。1943年(昭和18年)8月4日 オーストラリア東方で沈没と認定。
1943年(昭和18年)6月18日竣工(神戸川崎)。1943年(昭和18年)7月14日 伊予灘で訓練中に事故沈没。
1943年(昭和18年)1月15日竣工(横須賀海軍工廠)。1944年(昭和19年)4月27日 アリューシャン列島・コジャック島南方で米護衛駆逐艦の攻撃を受け沈没。
1943年(昭和18年)5月24日竣工(呉海軍工廠)。1944年(昭和19年)1月16日 グィディアグ海峡にて駆逐艦、魚雷艇と交戦して沈没。
1943年(昭和18年)5月10日竣工(横須賀海軍工廠)。1943年(昭和18年)9月3日 ニューヘブライズ方面で米護衛駆逐艦の攻撃を受け沈没。
1943年(昭和18年)10月3日竣工(神戸川崎)。1944年(昭和19年)4月28日 四国南方で米潜の雷撃を受け沈没。
1943年(昭和18年)10月15日竣工(横須賀海軍工廠)。1944年(昭和19年)6月19日 サイパン付近で艦載機の攻撃を受け沈没。
1943年(昭和18年)9月23日竣工(横須賀海軍工廠)。1944年(昭和19年)6月22日 サイパン付近で米駆逐艦らの攻撃を受け沈没。

参考文献

  • 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第12巻 潜水艦』光人社、1990年 ISBN 4-7698-0462-8
  • 外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年 ISBN 4-7698-1246-9

脚注

  1. 九三式探信儀は完成時に装備していない可能性が有る。

関連項目

テンプレート:- テンプレート:日本の一等潜水艦 テンプレート:海大