今敏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2014年7月3日 (木) 11:10時点における賀正 (トーク)による版 (影響を受けた作品)
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
移動先: 案内検索

テンプレート:ActorActress テンプレート:Sidebar with collapsible lists 今 敏(こん さとし、1963年10月12日 - 2010年8月24日[1])は、日本のアニメ監督、漫画家北海道釧路市出身[2](出生地は札幌市)。日本アニメーター・演出協会(JAniCA)会員。武蔵野美術大学造形学部視覚伝達デザイン科卒業。ミュージシャンギタリスト今剛は実兄[3]

妄想代理人』では鰐淵良宏名義も用いている。

経歴

デビュー前

札幌で生まれ、父の転勤により4歳から小学4年生までを釧路、小学4年生から中学2年生までを札幌、中学3年生から高校3年生までを再び釧路で過ごす。漫画家の滝沢聖峰は札幌時代の同級生である。釧路で過ごした高校時代と上京後の生活とのギャップは、後年の作品の主要テーマである「イマジネーションと現実の融合」の形成に少なからぬ影響を与えたという[4]

アニメでは『宇宙戦艦ヤマト』『アルプスの少女ハイジ』『未来少年コナン』『機動戦士ガンダム』などの作品を好み[5]、漫画は大友克洋の『童夢』などをよく読んでいたという[6]。また、筒井康隆の短編からインスピレーションを受け、漫画を制作したこともあった。

北海道釧路湖陵高等学校卒業後に武蔵野美術大学にへ進学し、グラフィックを専攻する。この時期には外国映画[6]や筒井の作品を見ることが多かった[7]

キャリア初期

1984年、大学在学中に『虜 -とりこ-』で『週刊ヤングマガジン』(講談社)の第10回ちばてつや賞(ヤング部門)優秀新人賞を受賞[8]し、漫画家としてデビュー[9]。これをきっかけとして、大友克洋のアシスタントとして働くことになった[9][10]

1987年の大学卒業後、講談社より『海帰線』(1990年[11]『ワールドアパートメントホラー』(1991年、大友による映画のコミカライズ)などを発表[9][11]。1991年には『老人Z』で初めてアニメ製作に携わり、美術設定・レイアウト・原画を務める[9]。以降『機動警察パトレイバー 2 the Movie』などの製作に携わった。その後、漫画作品の製作は『セラフィム 2億6661万3336の翼[12]をもって終え、アニメ製作に専念することになる。そして1995年、大友監修のオムニバス作品『MEMORIES/彼女の想いで』に脚本・美術設定・レイアウトとして参加し[9]、今は初めて「イマジネーションと現実の融合」を作品のテーマとして取り入れた[13]

監督として

1993年、『ジョジョの奇妙な冒険』で原画、シナリオ、演出、構成などを手がけ[6]1997年には竹内義和原作の『PERFECT BLUE』で初の監督を務める[14]。製作段階で「『アイドル』『ホラー』『ストーカー」』の3要素を織り交ぜる」[15]といった原作のシナリオに今が満足せず、村井さだゆきの協力でシナリオが書き換えられた[6][15][16]

『PERFECT BLUE』の後、以前からのファンであった筒井の『パプリカ』(1993年)の映画化を考えていたが、『PERFECT BLUE』の配給会社の倒産によって計画が頓挫[17]。新たなオリジナル作品の制作に取り掛かり[15]2002年に『千年女優』として公開された。『PERFECT BLUE』と同程度の低予算で製作されたが(概算で1億2,000万円)[7]、前作以上の成功を収め、多くの賞に輝いた。本作は長年のファンであった平沢進との初タッグを組んだ作品で[18]、以降の作品にも平沢が音楽として参加している。

2003年の『東京ゴッドファーザーズ』の発表後、2004年には初のTVシリーズとなる『妄想代理人』を製作。数々の社会的なテーマも取り入れられ[19]今が日頃から温めていた、映画では吸収できなかったアイデアが再表現されている[20]

2006年、かねてから計画を温めていた『パプリカ』を発表する。原作者の筒井たっての希望でもあったとされ[4]、数年来の構想が実現した。この作品も成功を収め、様々な映画祭で賞に輝いた。今は本作でも物語の要約だけではなく独自の解釈を加え、「基本的なストーリー以外は全て変えた」とコメントしている[21]

『パプリカ』の後、押井守や新海誠とともに、2007年放映の「アニ*クリ15」(NHK}に携わる。ここで1分間の短編作品『オハヨウ』を発表した。同年、日本アニメーター・演出協会(JAniCA)の設立に参与する。

晩年

『オハヨウ』の発表後、次回作として『夢みる機械』の制作に着手したが、2010年に体調を崩し、5月に病院で診断を受けたところ末期の膵臓癌と診断される[22]。生前から「自分のエンジンはアルコールとカフェインとニコチンで動いている」とブログで公言するほどの不摂生な生活を送っていたとされ、余命半年と宣告された後は、身の回りの整理をしながら亡くなる前日までブログを更新するなどしていた(但し、存命中は自分が病気であることは伏せている)。

2010年8月24日逝去。テンプレート:没年齢。翌日付のブログに、「さようなら」というタイトルでファンに向けてのメッセージを残している[22]。死後、アニマックスファミリー劇場が追悼の意味を込めて、今敏が制作に携わった作品を放送した。関係者向けに開かれた「今 敏監督を送る会」には今の作品に関わった鈴木慶一や平沢らが出席した。

なお、未完に終わった『夢みる機械』は、同年11月にキャラクターデザイン・作画監督を担当し数々の今敏作品を共に作った板津匤覧が監督を代行して製作を続行する事が発表されている[23](公開時期は不明)。

製作の過程

オリジナルの作品(『千年女優』、『東京ゴッドファーザーズ』、『妄想代理人』)では、ストーリーを考えてから、それが映画製作に耐えうるか考える(映画を作るためにストーリーを考えるのとは違う)[5]。『パプリカ』のように原作があるときは、物語に忠実に作るのではなく、独自の解釈を入れる。そして、村井さだゆき、信本敬子、水上清資といった脚本家とともにストーリーを構成していく[5]。それから、制作会社のマッドハウスに企画書を提出する[5]。それが通ったら、キャラクターデザインを作り上げる[5]。『妄想代理人』では、安藤雅司が非常に大きな役割を担った。それが終わったら絵コンテを作り上げる[24]。こういった手順である。しかし、『妄想代理人』では脚本家にまるまる1話を任せた回もあった[20]

次の段階として、いよいよ本格的な製作に取り掛かる。期間は1年半から2年を要する[5]。今と関わった主なスタッフは、美術監督池信孝、音響監督三間雅文、そして平沢進であった。制作費はおおよそ数億円[7]。これは、日本の一般的なアニメの制作費を考えればはるかに少ない。これについて、「低予算でも質の高い作品が製作できるのは、スタッフの賜物である」と述べている[25][26]

影響を受けた作品

まず、文学作品ではSF作家のフィリップ・K・ディックから影響を受けたと語る[14]。しかし、最も感銘を受けたのは筒井康隆であった[7]

そして、高校卒業までに見た漫画やアニメにも影響を受けたと述べる[6]。氏はよく『宇宙戦艦ヤマト』、『未来少年コナン』、『銀河鉄道999』(1978年)、『機動戦士ガンダム』の話を引用し[5][27]、特に感化された作品は大友の『童夢 (漫画)』だと語る[6]

アメリカの映画作品からも影響が垣間見える。特に刺激を受けたのは、ジョージ・ロイ・ヒル監督の『スローターハウス5』(1972年)である[14]。他にも、『ロスト・チルドレン』(1995年)などを好み、また影響を受けた監督の一人として、テリー・ギリアムの名を挙げる[6]。特に、『バンデットQ』(1981年)、『未来世紀ブラジル』(1985年)、『バロン』(1988年)が好みであった[6]。また、日本映画からも影響を受けており、黒澤明作品を好んでいる(『パプリカ』でこっそりとカメオ出演させている[17])。また、インタビューでは彼の作品はあくまでも「日本の」作品であるといったことを強調している[28][29]

音楽では映画でも組んだ平沢進のファンと公言しており、映画のサウンドトラックのみならず自宅のBGMにも頻繁に平沢の曲を流していたほか、生前は平沢のライブの観覧にも出かけており、作品への影響も少なくはない。今の葬儀の際、出棺時には平沢の楽曲で『千年女優』のテーマソングだった「ロタティオン (LOTUS-2)」が使用されたという[30]

作品

監督作品

アニメ映画

TVアニメ

漫画作品

  • 海帰線(美術出版社) ISBN 978-4061022164 (ビー・エス・ピー) ISBN 978-4568730036 (講談社) ISBN 978-4063760330
  • ワールド・アパートメントホラー(短編「ワールド・アパートメントホラー」のみ大友克洋信本敬子原作)(講談社) ISBN 978-4063132410
  • セラフィム 2億6661万3336の翼(原案:押井守、未完) 徳間書店の月刊誌『アニメージュ』1995年5月号 - 1996年11月号[12]に掲載。単行本は没後に刊行された。
    • 限定版(2010年12月4日発売) ISBN 978-4-19-950220-0
    • 通常版(2010年12月13日発売) ISBN 978-4-19-950223-1
  • OPUS(未完) - 学習研究社の月二回刊誌『コミックガイズ』1995年第10号 - 1996年第6号[31]に掲載。次の1996年第7号で同誌は休刊となり、当作品は未完のまま単行本も発行されなかった。没後に刊行された単行本(2010年12月13日発売、徳間書店)には、発見された未完成原稿が「未発表の最終話」として収録された。
    • 上巻:ISBN 978-4-19-950221-7
    • 下巻:ISBN 978-4-19-950222-4
  • 夢の化石(講談社) ISBN 978-4063760323

著書

  • KON'S TONE 〜「千年女優」への道〜(2002年9月20日、晶文社)ISBN 978-4794965462
  • PLUS MADHOUSE(プラス マッドハウス)1(キネ旬ムック)(2007年8月20日、キネマ旬報社)ISBN 978-4873766454

関連書籍

  • 今敏アニメ全仕事(2011年6月16日、G.B.)ISBN 978-4901841948

その他参加作品

受賞歴

『PERFECT BLUE』[32]
  • ベルリン国際映画祭招待
  • 第2回ファンタジア映画祭アジア部門大賞
  • 第17回ポルト国際映画祭アニメーション部門大賞
『千年女優』[33]
『東京ゴッドファーザーズ』[35]
  • 第7回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門優秀賞[36]
  • 第58回毎日映画コンクールアニメーション映画賞
  • 第24回ベルギー国際アニメーションフェスティバルプリベTV映画賞
  • 第18回デジタルコンテンツグランプリ 経済産業大臣賞
  • 第36回シッチェス・カタロニア国際映画祭(スペイン) 最優秀アニメーション映画観客賞
  • Future Film Festival(イタリア) 最優秀作品賞
  • 東京国際アニメフェア2004アニメアワード・コンペティション劇場映画部門 優秀作品賞
    • 個人賞・監督賞:今敏
    • 個人賞・美術賞:池信孝
『パプリカ』[37]
  • 第12回アニメーション神戸 作品賞・劇場部門
  • 第14回Chlotrudis Awardsベストデザイン賞
  • 第25回ポルト国際映画祭Critics' Award受賞
  • 第35回モントリオール・ニューシネマフェスティバルPublic's Choice Award受賞
  • 第8回ニューポート・ビーチ・フィルム・フェスティバルFeature Film Award受賞
  • 東京アニメアワード2007 優秀作品賞劇場映画部門、個人部門音楽賞(平沢進)

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

外部リンク

  • 今 敏 永眠のお知らせ - KON'S TONE
  • 北海道新聞2010年10月21日付朝刊29面
  • 魂の玉座 - KON'S TONE
  • 4.0 4.1 「哀惜・今敏さん(アニメーション映画監督、8月24日死去、46歳) - 名声得ても釧路に愛着」、北海道新聞 2010年9月25日付夕刊6面
  • 5.0 5.1 5.2 5.3 5.4 5.5 5.6 HT Talks To . . . FilmMaker Satoshi Kon 2005年12月 Home Theater2010年8月25日閲覧。
  • 6.0 6.1 6.2 6.3 6.4 6.5 6.6 6.7 Interview with Satoshi Kon, Director of Perfect Blue 2010年8月25日閲覧(2010年8月27日時点のアーカイブ
  • 7.0 7.1 7.2 7.3 Interview de Satoshi Kon sur le site Catsuka 2006年10月18日(2006年10月26日時点のアーカイブ
  • ちばてつや公式サイト 2010年8月26日閲覧
  • 9.0 9.1 9.2 9.3 9.4 Interview : Satoshi Kon Anime News Network 2008年8月21日 2010年8月26日閲覧。
  • Interview 06 1998年3月 フランスから「パーフェクトブルー」に関するインタビュー 2009年8月26日閲覧(2009年7月15日時点のアーカイブ
  • 11.0 11.1 COMIC BOOK 2010年8月26日閲覧テンプレート:リンク切れ
  • 12.0 12.1 UNRELEASED COMIC 2010年8月26日閲覧。テンプレート:リンク切れ
  • DVD MEMORIES インタビュー
  • 14.0 14.1 14.2 Interview with Satoshi Kon 2010年8月26日閲覧。(2010年8月28日時点のアーカイブ
  • 15.0 15.1 15.2 INTERVIEW Satoshi Kon 2001年11月2日 Midnight Eye 2010年8月26日閲覧。
  • Interview 07 2004年6月 アメリカから、監督作品全般に関するインタビュー 2010年8月26日閲覧。(2010年8月30日時点のアーカイブ
  • 17.0 17.1 INTERVIEW Satoshi Kon Part2 2006年11月20日 Midnight Eye 2010年8月26日閲覧
  • Interview 23 2007年6月 アメリカから『パプリカ』について(2007年12月15日時点のアーカイブ
  • Interview with Satoshi Kon Gamestar 2010年8月26日閲覧。テンプレート:リンク切れ
  • 20.0 20.1 妄想の産物 妄想の二「総監督の謎」 2010年8月26日閲覧。(2010年6月22日時点のアーカイブ
  • satoshi Kon-ITW-Interview 2010年8月26日閲覧。
  • 22.0 22.1 公式ブログ「KON'S TONE」2010年8月25日記事内容
  • テンプレート:Cite news
  • Satoshi Kon Film de culte 2010年8月26日閲覧。
  • Director Satoshi Kon Interview DVJ2.0 2010年8月26日閲覧。
  • Interview 02 2002年12月 イタリアから、主に「千年女優」に関するインタビュー 2010年8月26日閲覧。(2009年4月24日時点のアーカイブ
  • Interview 05 1998年2月 アメリカから「パーフェクトブルー」に関するインタビュー 2010年8月26日閲覧。(2010年8月30日時点のアーカイブ
  • Director Satoshi Kon Interview DVJ2.0 2010年8月26日閲覧。
  • Interview 03 2002年12月 カナダから、主に「千年女優」に関するインタビュー 2010年8月26日閲覧。(2009年4月24日時点のアーカイブ
  • テンプレート:Cite web
  • 本人公式サイト内UNRELEASED COMIC(2011年1月3日閲覧)テンプレート:リンク切れには「'95/10月号〜'96/6月号」とあり、また『OPUS』単行本下巻158ページでは「1995年10月号から翌6月号まで」と書かれているが、いずれも不正確。最後の掲載となった1996年第6号は3月6日発売(3月20日発行)。
  • Awards for Perfect Blue(1998) Internet Movie Database
  • Awards for Sennen joyû (2001) Internet Movie Database
  • 2001Japan Media Arts Festival Animation Division Grand Prize Millenial Actress 文化庁メディア芸術プラザ(2007年10月18日時点のアーカイブ
  • Awards for Tokyo Godfathers (2003) Internet Movie Database
  • 2003 Japan Media Arts Festival Animation Division Excellence Prize TOKYO GOD FATHERS 文化庁メディア芸術プラザ(2007年10月19日時点のアーカイブ
  • Awards for Papurika (2006) Internet Movie Database