人智学

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人智学(じんちがく)とは、逐語訳では「人間の叡智」を意味するテンプレート:Lang-de (ギリシア語ανθρωποσοφια) の日本訳語として一般に用いられる言葉である。語源はギリシア語であり、人間を示す ανθρωπος (anthropos, アントローポス)と、叡智あるいは知恵を示す σοφια (sophia, ソピア)を合成したものである。19世紀末から20世紀初頭にかけてドイツ語圏を中心とするヨーロッパで活躍した哲学者神秘思想家ルドルフ・シュタイナー(1861-1925)が自身の思想を指して使った言葉(これについてはアントロポゾフィーの項に詳しい)として有名であるが、この言葉自体は近世初期にすでに使用されている。

歴史

16世紀

人智学(Anthroposophie, アントロポゾフィー)という概念は、近世初期の時点ですでにその使用が確認されている。ルネサンス・プラトン主義者秘教学者として有名なドイツハインリヒ・コルネリウス・アグリッパに端を発するとみなされている、著作者不明の魔術書『古代魔術のアルバテル 至高の叡智の研究』(Arbatel de magia veterum, summum sapientiae studium, 1575)において、人智学(神智学も同様)は「善の科学」に分類されており、「自然的事物に関する知識」あるいは「人間的事象における狡猾さ」と訳されている。

イグナツ・パウル・ヴィタリス・トロクスラー

19世紀初頭には、スイスの医師であり哲学者でもあるイグナツ・パウル・ヴィタリス・トロクスラー(Ignaz Paul Vitalis Troxler, 1780-1866)が「人智学」という概念を受け継ぎ、それを著作『生智学の要素』(1806年)にて生智学テンプレート:Lang-de-short, ビオゾフィー)〔βιος/bios:生命 + σοφια/sophia:叡智〕に分類した。生命哲学の、そしてまた何よりもトロクスラーに学んだ自然哲学者シェリングの先駆者という意味において、生智学は「自己認識を通して得る自然認識」を意味している。トロクスラーは人間の自然に関する認識のことを人智学と呼んだ。彼に従えば、全ての哲学は人智学にならなければならない、また全ての哲学とは同時に自然認識でなければならない。それは「本来的な人間」に基づいた「客観化された人間学」(objektivierte Anthropologie)と考えられていた。必然的に神と世界は、人間の自然において神秘的過程を通して統一されるのである。

イマヌエル・ヘルマン・フィヒテ

かの有名なヨハン・ゴットリープ・フィヒテの息子であり、またゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルの弟子(右派)でもあるイマヌエル・ヘルマン・フィヒテ も、この概念を使用している。彼は著書『人類学 人間の魂に関する学問』(1856年)の中で人智学とは「精神が行う委曲を尽くした承認のみ」における「人間の根本的自己認識」であるとした。「神的な精神の居合わせあるいは実証を、自らの内側に向けることのみ」以外の方法で、「人間の精神」はしかしそれを真に根本的にあるいは徹底的に認識することはできないとした。

ギデオン・シュピッカー

宗教哲学者であるドイツギデオン・シュピッカー(Gideon Spicker, 1872-1920)は「宗教に、哲学的形式をもって自然科学的な基礎を与える」ことに心血を注ぎ、信仰と知識あるいは宗教と自然科学の葛藤を、自らの人生と思考の根本問題であるとみなした。彼は「最も高貴な自己認識」という意味において人智学の要綱を以下のように表現した。

科学においての問題は事物の認識である、一方哲学においての問題はこの認識に関する認識を裁く最終的な審判である。従って人間が持つべき本来の研究課題とは、人間自身に関するものである。同時にそれは哲学の研究であり、その究極の到達点は自己認識あるいは人智学である。(『シャフツベリー伯爵の哲学』、1872年)

シュピッカーの理想は、理性と経験の適用下における自己責任に基づいた認識として、宗教の中での神と世界の統一を包括するものであった。

ロベルト・ツィンマーマン

オーストリアの哲学者でありヘルバルト主義者でもあるロベルト・ツィンマーマン(Robert Zimmermann, 1824-98)は、いわゆる「哲学序論」の創始者でもある。彼は1882年の自らの著作において「人智学」という言葉を選んだ(『人智学概論 実念論的基礎に基づいた観念論的世界解釈体系のための草稿』、1882年)。その哲学講義を若かりし日にルドルフ・シュタイナーも聴講したことがあるというツィンマーマンは、「通俗的な体験の見地が担う制約と矛盾」を自らの体系において克服するために「人間知の哲学」を構築しようとした。それは経験の科学に端を発するものであるが、同時に論理的思考が必要とされる場合、それを超越するものでもあった。

ルドルフ・シュタイナーの人智学

テンプレート:Main 1880年代中盤からゲーテ研究家ならびに哲学者として活躍していたルドルフ・シュタイナーは、1900年代に入った頃からその方向性を一転させ、神秘的な事柄について公に語るようになった。その年の秋にベルリンの神智学文庫での講義を依頼され、シュタイナーはこれに応じる。1902年1月には正式に神智学協会の会員となり、ドイツを中心にヨーロッパ各地で講義などの精力的な活動を繰り広げる。1912年、アニー・ベサントらを中心とする神智学協会幹部との方向性の違いから同会を脱退、同年12月に当時の神智学協会ドイツ支部の会員ほぼ全員を引き連れてケルンにて人智学協会を設立する。

それまで神智学と呼んでいた自身の思想をシュタイナーがどの時点で人智学と呼ぶようになったかは不明であるが(当然協会を移転した1912年前後であると予想されるが、正確な日時は不明)、1916年にツィンマーマンからの影響に関して以下のように述べている。

我々の持つ事柄(Sache)に、いかなる名前を与えるかという問題には、長い年月を要した。そんな中、非常に愛すべき人物が私の脳裏に浮かんだ。何故なら私が青年時代にその講義も聴講したことのある哲学の教授ロベルト・ツィンマーマンは、自らの主著を『人智学』と呼んでいたからである。(『論文集』全集36番176P.)

言葉について

ここでは「人智学」と「アントロポゾフィー」の二つの訳語を採用した。「人智学」は近世以降にヨーロッパを中心に哲学者たちの間で使用されていた意味において、そして「アントロポゾフィー」はドイツの哲学者・神秘思想家ルドルフ・シュタイナーが、自らの思想を指す意味において使用した。換言すれば、アントロポゾフィーは人智学に含まれ、前者は後者よりも狭い意味を持つといえる。二つの訳語を用いる理由は、第一は一般的な言葉である「人智学」をシュタイナーの思想のみに限定しないためであるし、第二はシュタイナーが Anthroposophie を訳さずに原語のまま使用することを希望したからである。

関連項目