中野車両基地
中野車両基地(なかのしゃりょうきち)は、東京都中野区弥生町五丁目にある、東京地下鉄の車両基地および車両工場の総称である。車両基地の中野検車区(なかのけんしゃく、[[[:テンプレート:座標URL]]35_41_8_N_139_39_48_E_region:JP_type:landmark&title=%E4%B8%AD%E9%87%8E%E6%A4%9C%E8%BB%8A%E5%8C%BA 地図]座標: [[[:テンプレート:座標URL]]35_41_8_N_139_39_48_E_region:JP_type:landmark&title=%E4%B8%AD%E9%87%8E%E6%A4%9C%E8%BB%8A%E5%8C%BA 北緯35度41分8秒 東経139度39分48秒])、車両工場の中野工場(なかのこうじょう、[[[:テンプレート:座標URL]]35_41_14_N_139_39_52_E_region:JP_type:landmark&title=%E4%B8%AD%E9%87%8E%E5%B7%A5%E5%A0%B4 地図])から構成される。丸ノ内線の車両が所属している。最寄駅は中野富士見町駅。
概要
営団地下鉄では銀座線において上野・渋谷に設置されていた車両基地は用地が狭く、その後の車両運用面において大きく不便を強いられていた。
このため、営団地下鉄創立直後の1944年(昭和19年)に地下鉄4号線(現在の丸ノ内線。なお、現行のルートは戦後に決定されたものである。)の延伸を予想して、中野富士見町地区に用地を確保していたものである。
本検車区は銀座線・丸ノ内線の将来の車両動向を総合的に判断し、計画されたものである。既存の小石川検車区(当時)だけでは収容数に不満があることや、銀座線においては渋谷と上野の工場を廃止して中野工場に統合することで、それらの車両基地を拡張させて留置能力を向上させた[1]。なお、小石川検車区は2011年度に中野検車区に統合され、同区は中野検車区小石川分室となった[2]。
中野検車区
1961年(昭和36年)2月に留置能力180両として中野検車区が発足した。丸ノ内線全車両の月検査と車両清掃を担当しているほか、銀座線車両の車輪転削も行っている。本検車区は収容数に余裕があり、銀座線の上野・渋谷各検車区の大規模改良工事時には収容数が不足したため、同線用の車両の夜間留置にも使用されたことがある。
敷地面積:59,248m² 車両留置能力:168両
配置車両
- 02系電車 336両
- 本線用6両編成53本と支線用3両編成6本が配置されている。
中野工場
1961年(昭和36年)9月に中野工場が発足した。発足以来、小石川工場と、それぞれで工場業務を分担してきた。1971年(昭和46年)5月には小石川工場は本工場に組織統合され、中野工場小石川分場とした。
その後、1983年(昭和58年)9月に銀座線に01系が投入され、近い将来丸ノ内線においても同様に車両の置き換えが予想されたことから、この時点で銀座線・丸ノ内線の車両基地の再整備を実施することが決定された。このため、本工場は1985年度から1988年度にかけて工場建屋の全面的な建て替えをはじめとした近代化工事が実施された[3]。工費は37億円ともなった。
完成後の1989年(平成元年)4月には小石川分場を廃止し、銀座線と丸ノ内線車両の重要部検査・全般検査は全て本工場で受け持つことになった。そして、小石川分場は銀座線・丸ノ内線車両の更新修繕を施工する工場となり、1991年(平成3年)12月には中野工場小石川CRと名称変更された。なお、2011年(平成23年)時点では車両工事所小石川CRに名称変更されている[2]。
検査担当車両
歴史
- 発足 - 1971年(昭和46年)5月まで
- 丸ノ内線車両330両中126両の全般・重要部検査を施工。(残る204両は小石川工場で施工)
- 銀座線上野工場と渋谷工場廃止後は同線用の全車両の全般・重要部検査を施工。
- 1971年5月 - 1989年(平成元年)4月
- 小石川工場を中野工場に統合し、中野工場小石川分場とする。銀座線・丸ノ内線全車両の全般検査を施工する。(重要部検査は中野工場小石川分場で施工)
- 1989年4月以降
- 中野工場小石川分場を廃止し、銀座線・丸ノ内線全車両の全般・重要部検査を担当する。小石川分場は更新修繕を施工する工場となる。
沿革
- 1960年(昭和35年)11月5日 - 中野検車区準備事務所発足。
- 1961年(昭和36年)2月8日 - 中野検車区が発足する。
- 1961年(昭和36年)9月1日 - 中野工場が発足する。
- 1971年(昭和46年)5月10日 - 小石川工場を中野工場へ統合し、中野工場小石川分場とする。
- 1985年(昭和60年)度 - 1988年(昭和63年)度 - 中野工場建屋の全面的な建て替え工事を実施。
- 1988年(昭和63年)6月 - 小石川検車区担当の月検査を移管。
- 1989年(平成元年)4月 - 中野工場新工場における検査を開始。合わせて、中野工場小石川分場での検査業務を廃止する。
- 1991年(平成3年)12月 - 小石川分場を中野工場小石川CRと名称変更する。
- 1999年(平成11年)11月 - 小石川検車区担当の車両清掃を移管。
- 2011年(平成23年)度 - 小石川検車区を中野検車区に組織統合し、同区は中野検車区小石川分室となる[2]。
新車搬入・廃車搬出
中野検車区では新車の搬入また廃車の搬出も行われる。銀座線・丸ノ内線は他線との接続がないため、新車搬入は、基本的に製造メーカーから甲種輸送で川崎貨物駅まで輸送され、そこからトレーラートラックで道路輸送で本検車区まで運ばれる。
特に1983年以降に搬入された銀座線用の01系、1988年以降に搬入された丸ノ内線用の02系は、全車両が本検車区より搬入されている。01系や02系の大量増備が行われていた1990年代前半には多数の新車搬入が実施されていたが、その後は1997年(平成9年)夏に搬入された01系第38編成を最後に新車搬入は途絶えていた。そして、2011年9月には銀座線用の1000系が搬入され、実に14年ぶりとなる久しぶりの新車搬入となった。
01系や02系の新製が行われていた時期には、代替廃車となる旧形車両の解体作業が行われていた。また、丸ノ内線旧形車両のアルゼンチン地下鉄への車両搬出も本検車区から行われ、ここからトレーラートラックで川崎埠頭まで運ばれていた。
参考文献
- 帝都高速度交通営団「60年のあゆみ - 営団地下鉄車両2000両突破記念 - 」
- 東京地下鉄「帝都高速度交通営団史」
- 交友社「鉄道ファン」
- 1996年10月号「特集:カラフル営団地下鉄2401両」
- 鉄道図書刊行会「鉄道ピクトリアル」
- 1995年7月臨時増刊号「特集:帝都高速度交通営団」