上杉宗憲

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テンプレート:基礎情報 武士 上杉 宗憲(うえすぎ むねのり)は、出羽米沢藩の第6代藩主。第5代藩主・上杉吉憲の長男。生母は山中氏(祥寿院)。

経歴

『上杉家御年譜』では正徳4年(1714年)正月12日生まれとし、『寛政重修諸家譜』では宝永6年(1709年)としているが、前者の方が有力である。享保7年(1722年)5月1日の父・吉憲の死により、同年6月18日に家督を継ぐ。叔父で米沢新田藩主の上杉勝周が後見する。翌年11月11日に元服し、徳川吉宗偏諱を受けて宗憲に改名した。従四位下侍従兼弾正大弼に叙任。

享保15年(1730年)頃より、清野秀佑が台頭してくる。享保18年(1733年)に幕府から江戸城普請の任を命じられ、領内に臨時の御用金や家臣の俸禄を貸し上げて調達して対応、藩財政の窮乏がさらに進んだ。なお、享保19年5月初旬に病に倒れ、同年5月13日に米沢にて死去した。墓所は米沢市。嗣子が無かったため、弟の宗房が跡を継いだ。

参考文献

テンプレート:米沢藩主