三井本館

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三井本館(みついほんかん)は東京都中央区日本橋室町にある、三井不動産保有のオフィスビルである。越後屋の跡地にある。また、團琢磨暗殺の現場でもある。

概要

現在の建物は1902年(明治35年)に竣工した旧三井本館が関東大震災で被災したために建替えられたもの(1929年(昭和4年)3月23日竣工、6月15日開館)で、アメリカのトローブリッジ・アンド・リヴィングストン事務所が設計しジェームズ・スチュワート社が施工を行った。

地下大金庫の最大厚さ90センチメートルの扉は搬入に際し重量の大きさ(約50トン)から日本橋が損傷する恐れがあるために通過が認められず、川に浮かべ船で運ばれた。近年、川から陸揚げを行っている写真が発見された。

新古典主義様式の外観を持つ建物で、イタリア・ヴェネツィア大理石などが使用されている。関東大震災の教訓からその2倍の地震にも耐えることができるように作られていると言われており、これは現行の耐震改善促進法の基準の2倍以上にあたる。エアシューターや全館完全空調を初めて導入した。

かつてはその名の通り三井財閥の本拠であり三井合名会社本社、三井銀行本店、三井物産本社、三井鉱山本店などがあった。三井不動産も元々は三井本館(旧)の管理室からスタートしている。

1945年(昭和20年)より1947年(昭和22年)までは連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ) が4・5階の一部を接収した。

1998年(平成10年)には国の重要文化財に指定された[1]。三井本館の保存のため別箇に三井不動産では隣接する敷地に地下4階地上39階の日本橋三井タワーの建設を計画し2002年(平成14年)10月4日に着工、2005年(平成17年)7月29日に竣工した(入居開始は8月16日)。

現在でも三井不動産の本社、三井住友銀行日本橋支店、三井住友信託銀行日本橋営業部などが入居しているほか、7階には三井家の所蔵品を展示している三井記念美術館2005年(平成17年)10月8日に開館した。また夜間はライトアップされる。

逸話

戦後、連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ) により三井財閥、三菱財閥住友財閥の各財閥は解体されそれぞれの商号を使うことも禁じられた。三井本社は解体を命じられ、三井物産も商号の変更を命じられた。

これら3つの財閥は協力してGHQと交渉を行い、最終的にそれぞれの商号を再び使うことが認められた。これを記念し、三井本館に三菱製エレベーターが設置された。

その他

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三井住友銀行日本橋支店の看板

景観や店舗のイメージ上の観点から三井住友銀行の看板は通常の濃緑と白の看板ではなく茶地に金色の文字で表記されている。

出典

  1. 国指定文化財等データベース:各棟情報詳細 2011年7月27日閲覧。

参考文献

関連項目

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外部リンク

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