ヴァレリー・ブィコフスキー

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テンプレート:Infobox Astronaut ヴァレリー・フョードロヴィチ・ブィコフスキーテンプレート:Lang-ruラテン文字転写の例:Valery Fyodorovich Bykovsky1934年8月2日 - )は、ソ連宇宙飛行士ボストーク5号ソユーズ22号ソユーズ31号と3度、宇宙飛行を行っている。また、ボストーク3号ソユーズ37号のバックアップも務めた。

経歴

ファイル:Bundesarchiv Bild 183-T0905-107, Landung der Kosmonauten Bykowski und Jähn.jpg
1978年9月3日、ドイツ人初の宇宙飛行士ジークムント・イェーンと帰還した時の写真。帰還カプセルはソユーズ29号のもの

ロシア共和国モスクワ州パヴロフスキー・ポサドに生まれる。1955年、A.F.ミャスニコフ名称カチン飛行士軍事航空学校を卒業し、モスクワ防空管区の戦闘機連隊に勤務。1960年、宇宙飛行士候補に選抜。

ブィコフスキーは、1963年6月14日に打ち上げられたボストーク5号で単独で5日間宇宙飛行を行い、当時最長の宇宙滞在記録を作っている。後に滞在時間記録は塗り替えられたものの、いずれも複数であるため、単独での記録としては現在でも最長である。

1976年9月15日、ソユーズ-22号の船長として2度目の宇宙飛行を行った。1978年8月26日、ソユーズ-31号の船長として3度目の宇宙飛行を行う。

宇宙飛行士として一線から退いた後には、同盟国間での宇宙開発を促進するソ連・東欧宇宙連合に関わった。1988年に引退し、ベルリンで3年間ソ連科学文化会館の館長を務めた。

パーソナル

ソ連邦英雄(2度)。レーニン勲章3個、赤星勲章、労働赤旗勲章を受章。

ベトナム社会主義共和国労働英雄、ブルガリア人民共和国社会主義労働英雄、ドイツ民主共和国英雄カール・マルクス勲章(東ドイツ)、一等グリュンワルド十字章(ポーランド)、二等インドネシア共和国星勲章を受章。

ソ連科学アカデミーのK.E.ツィオルコフスキー名称金メダル、デ・ラヴォ・メダル(FAI)、「傑出した優秀さに対する」金メダル、スウェーデン王立航空クラブの名誉賞状を受賞。

カルーガルジェフ(ロシア)、ブルガスヴァルナ(ブルガリア)、セラズ(ポーランド)の名誉市民。