ロッド・アレン

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テンプレート:Infobox baseball player ロデリック・ベルネット・アレンRoderic Bernet Allen , 1959年10月5日 - )ことロッド・アレンは、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス出身の元プロ野球選手外野手)。広島時代の登録名はロデリック・アレン

来歴・人物

サンタモニカ高校を経て、テンプレート:ByMLBドラフト6巡目でシカゴ・ホワイトソックスに指名され契約。しかし、MLBに昇格することなくテンプレート:By12月11日にトム・パチョレックとの交換トレードで、トッド・クルーズジム・エッシアンとともにシアトル・マリナーズに移籍。

テンプレート:By4月7日の対ニューヨーク・ヤンキース戦で代打としてMLBデビューを果たし、初打席初安打をマーク。テンプレート:Byデトロイト・タイガースでプレーした。テンプレート:Byクリーブランド・インディアンス傘下(当時)の3Aコロラドスプリングスで三冠王を獲得し、4シーズンぶりとなるMLB復帰を果たしている。MLBでの通算成績は31試合で打率.220、0本塁打に終わり、MLB定着はならなかった。

テンプレート:ByNPB広島東洋カープに入団。1989年は前半に故障で戦列を離れたものの後半の活躍で来季に繋げた。テンプレート:Byは開幕当初はマイク・ヤングの加入もあって代打が中心だったが、ヤングの不調でスタメンのチャンスを掴むと打撃が爆発。史上14人目となる4打席連続本塁打や、1試合で代打満塁本塁打とサヨナラ本塁打を放つなど大活躍を見せた[1]。下半身は使わず、ほとんど上半身の腕っぷしだけで打つような打法だった。

テンプレート:By大洋戦で大門和彦の死球に怒って外野まで追い掛ける騒ぎを起こして退場処分を受ける。この時の映像は「プロ野球珍プレー好プレー」などでしばしば吹き替えをつけて放送されていた。

テンプレート:Byには球団史上初の背番号00をつけて臨み、チームがリーグ優勝を果たしながらも再び大不振に陥り、退団が決定的となって臨んだ日本シリーズでは史上10人目のシリーズ初打席初本塁打を含む2本塁打と活躍し、自らの花道を飾った[1]

テンプレート:Byメキシカンリーグでプレーし、同年限りで引退。現在は、デトロイト・タイガースの試合の実況をおこなっている。

詳細情報

年度別打撃成績

テンプレート:By2 SEA 11 12 12 1 2 0 0 0 2 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .167 .167 .167 .333
テンプレート:By2 DET 15 31 27 6 8 1 0 0 9 3 1 0 1 0 2 0 1 8 0 .296 .367 .333 .700
テンプレート:By2 CLE 5 11 11 1 1 1 0 0 2 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0 .091 .091 .182 .273
テンプレート:By2 広島 80 279 247 23 74 12 1 11 121 39 3 1 0 3 25 0 4 47 9 .300 .369 .490 .859
テンプレート:By2 98 367 326 56 102 12 1 25 191 61 2 2 1 2 32 3 6 60 10 .313 .383 .586 .968
テンプレート:By2 68 226 206 23 48 10 0 9 85 33 1 1 0 1 19 2 0 44 2 .233 .296 .413 .709
MLB:3年 31 54 50 8 11 2 0 0 13 3 1 0 1 0 2 0 1 11 0 .220 .264 .260 .524
NPB:3年 246 872 779 102 224 34 2 45 397 133 6 4 1 6 76 5 10 151 21 .288 .356 .510 .866

記録

NPB

背番号

  • 18 (1983年)
  • 12 (1984年)
  • 60 (1988年)
  • 49 (1989年 - 1990年)
  • 00 (1991年)

脚注

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関連項目

外部リンク

テンプレート:MLBstats
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