ルキウス・アエミリウス・パウルス

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ルキウス・アエミリウス・パウッルス (テンプレート:Lang-la-short, ? - 紀元前216年8月2日) は、共和政ローマの政治家・将軍。紀元前219年紀元前216年の二度、執政官の職に就いた。ルキウス・アエミリウス・パウッルス・マケドニクスの父親にあたる。

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『執政官パウルスの最期』(John Trumbull, 1773)

パウッルスは紀元前219年マルクス・リウィウス・サリナトルと共に執政官に選出されたが、その年の第二次イリュリア戦争において、ファロスのデメトリウスに敗北した。第二次ポエニ戦争中の紀元前216年、パウッルスはウァッロとともに二度目の執政官に選出された。同年8月2日カンナエの戦いで、ハンニバル率いるカルタゴ軍に大敗し、パウッルスは戦死した。

パウッルスの娘、アエミリア・テルティア(アエミリア・パウッラ)はスキピオ・アフリカヌスの妻である。

カディス青銅板碑文には次のように記している。

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