モスクワ劇場占拠事件

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ファイル:Vladimir Putin with victims of Nord-Ost terrorism.jpg
事件後に病院に収容された生存者を見舞うプーチン大統領(2002年10月26日)

モスクワ劇場占拠事件(モスクワげきじょうせんきょじけん)は、2002年10月23日から10月26日にかけて、ロシア連邦内でチェチェン共和国の独立派武装勢力が起こした人質占拠事件である。

概要

2002年10月23日、42名の武装勢力は、モスクワ中央部にある劇場ドブロフカ・ミュージアムで観客922名を人質に取り、第二次チェチェン紛争により進駐してきたロシア軍のチェチェン共和国からの撤退を要求した。これが受け入れられない場合は人質を殺害、自分達も爆弾を使って劇場ごと自爆すると警告。これに対し、ロシア当局は強硬な態度を示し、武装勢力の要求を事実上拒否して武装勢力は追い詰められた。

その後武装勢力は、10月26日朝までに自分達の要求が受け入れられなければ人質を殺害するという最後通告を行ったため、緊張が高まった。政府はこれに対し交渉を行うとの声明を出したが、実際は突入への準備が行われていたといわれる。

26日の午前6時20分頃にロシア連邦保安庁(FSB)の特殊部隊であるアルファ部隊が突入。その際、特殊部隊は犯人を無力化するためにKOLOKOL-1と呼ばれる非致死性兵器ガスを使用した。劇場内にいた大半はこのガスによって数秒で昏倒し、異変に気付いて対処しようとした武装グループの何人かと特殊部隊との間で銃撃戦が発生したが、短時間で制圧された。武装勢力側は全員射殺されたが、その中には意識不明でその場いに倒れていて特殊部隊員によって無抵抗のまま射殺されたものが多い。

なお、突入の直前に犯行グループ側が人質を殺害したとの報道も流されたが、発表では銃弾で死亡した人質はいない。

ガスの使用とその種類については周囲に一切知らされておらず、解毒薬も特殊部隊の一部にしか与えられていなかったため、人質の救出の成功と同時に、呼吸困難や心停止に陥った人質への対処と治療という問題が起きた。このような状況を予期していなかった特殊部隊員たちはパニック状態に陥り、運ばれた病院でも対応は後手に回った。最終的に人質129名が窒息死したが、仮に医療班を待機させ、解毒剤などを準備していれば、救われた命があったはずであり、後にこれは訴訟に発展した。

ロシア政府は当初、このガスの成分を一切公表しなかったが、後日ロシア保健相が麻酔薬であるフェンタニルを主成分にしたものであるとの発表を行った。しかし、詳細な成分については今なお不明である。

関連項目