ミナガワマンナ

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テンプレート:Infobox ミナガワマンナ日本競走馬菊花賞に勝ち、種牡馬としてのシンザンに初の中央競馬クラシック勝利をもたらした。

経歴

デビュー前から期待され2戦目で初勝利、3戦目の水仙賞も連勝した。春のクラシックは皐月賞は5番人気だったが12着に惨敗、4歳中距離ステークスを勝って挑んだ東京優駿(日本ダービー)では先行するものの4角で一杯になり8着に敗れた。

続くラジオたんぱ賞で2着になりオープン入り、秋は3戦して5着、10着、9着といいところがなく14番人気で菊花賞に挑戦することになった。この年の菊花賞は春の二冠馬カツトップエースが引退し、トライアル3冠馬サンエイソロンが1番人気であった。菊花賞では前走で1.4秒も差をつけられたサンエイソロンを逆に4馬身ちぎる圧勝でシンザン産駒初のクラシック制覇を成し遂げた。また、鞍上の菅原泰夫はこの勝利でクラシック全5競走の勝利を成し遂げた(他の4競走は1975年にカブラヤオーテスコガビーで制している)。

有馬記念ではアンバーシャダイの前に9着に敗れたが3走後のアルゼンチン共和国杯では2馬身半差で雪辱、その後は勝ち星に恵まれないものの重賞戦線で好走し、1年後のアルゼンチン共和国杯ではアンバーシャダイ、ホリスキーらの猛烈な追い込みをハナ差凌ぎ連覇を果たしている。引退レースのジューンステークスも勝った。

引退後は父と同じ谷川牧場で種牡馬入りし、アサヒジュピターなどのスピード馬を輩出した。

2007年9月11日、老衰のため死亡した。29歳だった。

生涯成績

  • 25戦7勝(2億3705万600円)

主な勝ち鞍

  • 1981年 菊花賞
  • 1982年 アルゼンチン共和国杯
  • 1983年 アルゼンチン共和国杯
  • 1983年 ジェーンステークスほか

代表産駒

など

血統表

ミナガワマンナ血統ボワルセル系セントサイモン系) / トウルヌソル4×5=9.38%)

シンザン
1961 鹿毛
*ヒンドスタン
Hindostan
1946 黒鹿毛
Bois Roussel Vatout
Plucky Liege
Sonibai Solario
Udaipur
ハヤノボリ
1949 栗毛
ハヤタケ *セフト
飛竜
第五バツカナムビユーチー *トウルヌソル
バツカナムビユーチー

ロングマンナ
1970 黒鹿毛
*ヴィミー
Vimy
1952 鹿毛
Wild Risk Rialto
Wild Violet
Mimi Black Devil
Mignon
アサヒマンナ
1960 鹿毛
*ソロナウェー
Solonaway
Solferino
Anyway
ロングラン クモハタ
第四マンナ F-No.1

外部リンク

テンプレート:菊花賞勝ち馬