マルティン・ハインリヒ・クラプロート

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マルティン・ハインリヒ・クラプロートMartin Heinrich Klaproth1743年12月1日1817年1月1日)はドイツ化学者である。

ヴェルニゲローデに生まれた。16歳で薬局につとめ、その後クヴェトリンブルクハノーファーなどで薬局の助手を勤め、1768年ベルリンにでた。1770年有名な化学者ローゼの助手になったが、その直後にローゼが亡くなったので、ローゼの仕事をつぐことになった。1810年にフンボルト大学(ベルリン大学)が創設されると初代の化学の教授になった。

分析化学と鉱物学に業績を残した。ウランジルコニウムセリウムの発見者とされ、テルルチタンの発見を確認し、これらの元素の命名者になっている。 1789年、ピッチブレンドから酸化ウランを精製し、新元素であると結論した。

息子

脚注

  1. 高田時雄編『東洋学の系譜 欧米篇』(1996年大修館書店、ISBN 4469231304)

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